「1918年の最強ドイツ軍なぜ敗れたのか」に見るリーダーシップと戦略(7)

 

1918年の最強ドイツ軍なぜ敗れたのか」に見るリーダーシップと戦略(7

 

以上見てきたような人材で構成されたトライアングルにおいて、どのように戦争に関する意思決定がなされていったのか、その概要を見てきました。その記述のなかから、ドイツ帝国の中枢におけるトライアングルを構成する人物たちの姿(キャラクター)がある程度は掴めてきました。

そこで、気がかりな点が3点あります。

第一に、精神的な問題がありそうな人が必ずいて、それがリーダーシップのトライアングルに、少なからず影響している点です。

第一世代に属するビスマルクの精神的な問題は、ヴィルヘルム一世やモルトケ(伯父)の存在でカバーされていたのかもしれません。しかし第二世代ではカバーすべき宰相や参謀総長にそれだけの力がないようで、ドイツ帝国のCEOとしては厳しいものがあると言わざるを得ないレベルでのヴィルヘルム二世の精神的な問題点が表に出てきます。

また、参謀総長モルトケ(甥)も、脳梗塞のせいとはいえ、精神的な問題を抱えており、トライアングルを構成する3者のうち、2者に精神的な問題があるのではトライアングルが機能するはずがありません。

第二に、人材を選ぶ上で家柄や外見を重視しているのではないかと思われる記述が必ずある点です。押し出しがいいなど、外見の良さについて言及されていたり、モルトケという家名で参謀総長に抜擢したりというのでは、人材登用基準としていかがなものでしょうか。現実の企業においても、こうしたポイントがリーダーシップやトップマネジメントに影響していることは、よく目にします。

たとえば、内部昇進にせよ外部採用にせよ、誰かを新たに経営幹部にしようとした場合、外見重視で選ぶという方針を公式に表明している企業はまずないと思います。しかし、明らかに外見のいい人を優先的に選んでいるとしか思えない企業が、けっこうあります。そうした企業を訪問すると、上級管理職や役員の間に独特の共通した雰囲気が感じられます。

どういう基準で人材を選ぶにせよ、事業が成長し収益が増大するのであればいいのですが、外見重視で経営幹部の人材を選んでいるとしか思えない企業では、結果が伴うことはまずありません。

第三に、第一世代のトライアングルは二度の戦争を経てプロイセン王国をドイツ帝国に成長させたという実績があるのですが、第二世代には実績というほどの実績が見当たりません。

CEOなどリーダーを選ぶ際に、現代の企業ではさまざまな人材スクリーニングの手法を活用するとともに、自社および他社での実績についても多面的に評価することでしょう。筆者もそうしたスクリーニングや実績評価に直接、関わってきましたが、すべての企業がAIやビッグデータを活用して人材評価を行うわけにはいきません。とはいえ、少なくともBEI360度評価などを行うことは必要でしょう。

その際に、外見や話し方などに評価が左右されないように、インタビューやプレゼンテーションから得られた情報は、一旦メモとして書き起こし、文字や数値の情報として客観的に見て判断することが求められます。こうしたプロセスを経ないと、どうしても思いこみや結論ありきでの人材評価になってしまいます。

第二世代の人材選びには、こうした実績評価のプロセスがまったく欠けており、トライアングルという形だけを維持しているに過ぎないようです。そのトライアングルも、実質的な参謀総長にルーデンドルフという第四の存在が加わることによって、形を維持することもできなくなるですが。

 

こうしてみると、企業にせよ国家にせよ、トップマネジメントをトライアングルのチームで運営するということは理念的には望ましいものかもしれませんが、トライアングルを構成するそれぞれの人物が自らの役割を自覚し、その役割を果たすだけの能力や実績をもって選ばれるということは、人材を選ぶシステムが相当に機能しないと実現は難しいでしょう。

仮に人材を選ぶことができたとしても、実際のチームとして機能するには、トライアングルの構成員相互の信頼関係といった目に見えない条件が満たされないと、足の引っ張り合いになったり、人事を巡る政治的な駆け引きばかりにエネルギーを費やしたりすることになりがちです。その典型例を第一次大戦中のドイツ帝国で見せてくれたのが、本書です。

では、ドイツ帝国はどうすればよかったのでしょうか。

帝国ができた当初のトライアングルは、自然発生的といいますか、ヴィルヘルム一世が意図して作り上げたものではないために、次の世代のトップマネジメント体制をどうするのかはシステマティックに構成されるものではありませんでした。

多分、子のフリードリヒ三世に対しては、いわゆる帝王学を何らかの形で身につけさせることがあったのではないかと思います。しかし、孫のヴィルヘルム二世には、そうした育成プログラムのようなものは、まだ実施していなかったのかもしれません。

結局、フリードリヒ三世の急死が帝国のトップマネジメントのサクセッションプログラムを機能させなかったため、次の世代のトライアングルの要であるヴィルヘルム二世の早すぎた就任につながってしまいます。また、それをサポートする仕組みも未整備な状況であったため、カイザーの個人的な問題点がそのまま政治に影響してしまいます。

そう考えると、もっと早い段階でカイザー・宰相・参謀総長の役割(登用基準)の明確化と相互牽制の仕組み作りに注力すべきだったのかもしれません。もしくは、カイザー自身が自らの欠点や問題点を自覚して、政治や軍事を全面的に委ねる体制(「君臨すれども統治せず」というイギリスなどの立憲君主政治の体制)に一気に移行すべきだったのかもしれません。

いずれにしても、帝国としての統一を果たしたばかりの当時のドイツには、体制が成熟する時間が足りなかったようで、カイザー個人のリーダーシップに依存せざるを得なかったのでしょう。

企業も同様です。

創業第一世代は良くも悪くも自然発生的にリーダーシップのありようが決まっていきます。それは起業家の個人商店かもしれませんし、チームによる創業かもしれません。そこには意図や計画よりも、偶然の要素が大きく作用しています。

それが、第二世代ともなると、システムやカルチャーのなかから事業のリーダーシップの担い手が出現します。なかには第一世代のリーダーが脱皮するように第二世代となる場合もあります。この第二世代のリーダーシップの失敗例がドイツ帝国であったことは間違いないでしょう。

 

 

作成・編集:QMS 代表 井田修(2018219日更新)