「1918年の最強ドイツ軍なぜ敗れたのか」に見るリーダーシップと戦略(2)
ドイツ帝国の経営トップともいうべき皇帝・宰相・参謀総長の3リーダーの関係について、創業メンバーともいうべきか第一世代よ呼ぶべきかわかりませんが、皇帝ヴィルヘルム一世・宰相ビスマルク・参謀総長モルトケについては、次のように述べられています。
ヴィルヘルム一世は、若い頃には革命派を弾圧するなど容赦ない姿勢を示したこともあったが、国王即位は1861年、63歳の時であった。軍人気質で、頑固であるが誠実な人物であったと言われており、精神的不安定を印象付けるような話はあまりない。比較的高齢で即位したことも影響したかもしれない。彼は軍事と政治の両面を監督する立場を自覚し、摩擦が生じた場合には影響力を適切に行使した。多くの場合、政治家、つまりビスマルクを支持した。
逆にその国王・皇帝を支えたビスマルクは、精神的不安定を示すエピソードに事欠かない。すでに紹介した普墺戦争の幕引きの時も神経衰弱に陥って発作的に号泣することもあったというし、ドイツ帝国誕生時のヴィルヘルム一世との確執でも相当、精神的に追い詰められており、他にも療養・休養を余儀なくされたことは多い。(中略)
一方、モルトケは、ビスマルクとは対照的で、寡黙で冷静沈着な人物であったと言われている。激怒することもあったが、精神的不安定は感じられない。(同書44~45ページ)
ここからイメージされるのは、政治家であり軍人の要素ももつ皇帝が年長のトップとしてトライアングルの頂点で巧みにバランスをとりながら、政治家の宰相と軍人の参謀総長がそれぞれのキャラクラーにあった役割を十分に果たす構図です。
この構図が、ドイツ帝国のリーダーシップのモデルと思われます。そして、このモデルが次の世代にどのように引き継がれていくかが、企業体として見た場合のドイツ帝国の課題となります。
作成・編集:QMS 代表 井田修(2018年2月2日更新)