AIが仕事を奪う?(1)
先日、東大ロボ(注1)が、実際の受験生の多くが受ける模擬試験において、かなり高い成果を挙げたことが報告されました(注2)。
全体的には、マークシート式5教科8科目で偏差値57.1と高い成績を収めました。なかでも、論述式では数学で偏差値76.2、世界史Bで偏差値66.3と極めて高い偏差値を獲得しました。その一方で、文章を読んで空欄に適切な語句を入れるといった問題など、文章を適切に理解する能力については、これまでのAI研究では限界があることも明らかになってきました。
こうしたAIの特徴と同時に、このプロジェクトの中心人物の一人である国立情報学研究所の新井紀子教授は、次のように大きな懸念を示しています。
AIが進歩して社会に浸透していくなかで、人間は人間らしい読解力や意味理解を深めることで差別化していく必要がある。このままでは社会に格差や分断が広がるのではと新井教授は危機感を募らせる。これに伴い、NIIは文章を正確に読み取る力を測る「リーディングスキルテスト」(RST)を開発・提供すると7月に発表している。
「例えば原子力発電所の業務マニュアル。教科書より難しいことがマニュアルや仕様書、指示書には書いてあり、読めない人が作業をしたらリスクがある。これは資本・民主主義の危機ではないだろうか」(新井教授)。
(以上の引用については注3を参照してください)
新井教授は別のところでも、AIに限らず、現代の仕事およびこれからの仕事の特徴を、次のように述べています。
置き換えられるのは、
従来ホワイトカラーがやってきた、手順が決まっていて、覚えることのできる仕事だ。
経済学者の中には「仕事が消えても他の仕事が生まれるので、心配ない。産業革命のときもそうだった」と言う人もいるが、
現代は、何をやるにしても一定程度の知識が前提となる知識重視社会(知識基盤社会)だ。
たとえば、ある分野で失業した人が他の分野に移ろうとしたとき、
一定の職業訓練が必要で、それには初めて見る文章、自分の知らない分野のことが書いてある文章を「読める」必要がある。
しかし、もしそれを読む力そのものが備わっていなかったら?
失業は長期化せざるを得ない。
パソコンが使えずに申請書を書けないといったデジタルデバイド(格差)の問題があるが、
文章が読めないので、新しい職業に移行できないという事態が、より大規模に起こる可能性がある。
(段落構成や太字などは原文のままです。以上の引用については注4を参照してください。)
こうした記事を目にして、改めて思い起こしたのは、同様の懸念や問題について以前からさまざまな経営者から折に触れて耳にする声でした。
「話を聞いていないのか、こちらが指示したことがまったくできない社員がいる。言葉でいっただけではダメなら、紙やメールで指示してみたが、できないのは変わらない。」
「この資料を読んで、その通り、やればいいと言っても、まったくできない。どの部署にもそういう社員が1~2人いて困っている。」
「ちょっと厚めの資料を渡すと、最初から読む気がないのか、内容が頭に入っていない。ミーティングで資料の概略を説明するように指示しておいても、プレゼンの内容がひどくてかえって混乱してしまい、プロジェクトから外した。」
「人事評価のやりかたを研修で説明して、マニュアルも配布しても、結局、管理職の3分の1か4分の1は、評価基準やプロセスを理解しておらず、評価がまともに実施できない部門が毎年のように出てくる。」
「会議や研修などの召集の通知を出しても、日時や場所を間違える社員が、必ずいる。通知を何度出しても、見ていないのか、ちゃんと確認していないのか、原因はわからないが、部長クラスでも新入社員レベルでも、1~2割は遅刻したり欠席したりするようだ。社内だけならいいが、顧客との商談では相応の支障が出ている。」
これらはほんの一例ですが、いつの頃からか、こうした声を聞くことが実に多くなりました。それも、若い社員だけのことではありません。年齢や性別に関係なく、幅広く聞かれるコメントです。
こうした状況の背景に、もしかすると、読解力の問題があるとしたら、企業のとるべき対策を抜本的に見直さなければならないかもしれません。
読解力は、仕事をする能力の基礎の基礎です。それが不十分なレベルとなると、仕事ができるスキルがあるかとか、その仕事に向いているかどうかといった問題を、根底から覆すことになります。
企業は社員を採用する際に、読解力であるとか、人の話を聞いて理解し何をすればよいのか具体的な行動に移す能力を、的確に測定してきたかどうか、いささか怪しいのではないでしょうか。
少なくとも、自社がビジネスを進めていく上で最低限のレベルをクリアしているかどうか、本腰を入れて検討すべき時期に来ているでしょう。ビジネススを進めていく上での最低限のレベルとは、つまり、雇用形態や職種などに関係なく広くエントリーレベルの社会人として求められる水準でしょう。
この点、新井教授も次のように語っています。
公教育とは、国民全員に基礎的学力を保障するもののはずだ。
たとえ入学前に差がついてしまっていたとしても、差がなくなるようにするのが、公教育の責務だ。
中学を卒業するまでには、全員が教科書レベルの文章を「読める」ようにしたい。
(段落構成や太字などは原文のままです。以上の引用については注4を参照してください。)
歴史的には、日本人は識字率が高く、中産階級どころか下層階級でもリテラシー(識字能力)があることが他国との競争上の優位と言われてきました。また、明確に指示を出さなくても、先回りして対応する能力が高いようにも言われてきました。その最たるものが、観光などで見られる“おもてなし”ということでしょう。それらが本当に事実と言えるものなのか、改めて見直す必要に迫られているのでしょう。
公教育で教科書レベルの読解力が身につくようになることが保証されるのであれば、実は素晴らしいことかもしれません。少なくとも、そのレベルの読解力がどのような仕事をするのに必要であることは、議論の余地がないように思われます。
こうしてみると、AIが仕事を奪う以前に、人間の能力自体が仕事に堪えるレベルにあるかどうかが問われているのかもしれません。言い換えれば、AIが人間に替わって処理できる仕事は、もともと人間の能力のごく一部で対応できる仕事に過ぎず、AIが替わって処理することが難しいもの(その代表が読解力でしょう)こそ、人間が処理すべき仕事であることが明らかになってきたようです。
ただし、人間のなかでもかなりの割合の人が、AIが人間に替わって処理することが難しいものについて、実は苦手であるとすれば、AIの技術的な進歩とは関係なく、仕事につくチャンスがもともと低いことになります。東大ロボの研究から、こうした問題が改めて提起されているものと考えられます。
【注1】
国立情報学研究所(略称NII)が「ロボットは東大に入れるか」というテーマのもとに開発中の受験生ロボットのこと。
【注2】
NII人工知能プロジェクト「ロボットは東大に入れるか」2016年成果報告についてのプレスリリースおよびニュースリリースは、以下を参照してください。
http://www.nii.ac.jp/news/2016/1114/
http://www.nii.ac.jp/userimg/press_20161114.pdf
NII人工知能プロジェクト「ロボットは東大に入れるか」2016年成果報告会の詳しいレポートは、以下のPC Watchの記事を参照してください。
http://pc.watch.impress.co.jp/docs/column/kyokai/1031174.html
【注3】
NII人工知能プロジェクト「ロボットは東大に入れるか」2016年成果報告についてのIT mediaの報道記事よりの引用です。元の記事は以下を参照してください。
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1611/21/news096.html
【注4】
NII人工知能プロジェクト「ロボットは東大に入れるか」2016年成果報告について、新井紀子教授が湯浅誠法政大学教授との対談で解説している記事よりの引用です。元の記事は、以下を参照してください。
http://bylines.news.yahoo.co.jp/yuasamakoto/20161114-00064079/
作成・編集:経営支援チーム(2016年11月23日)