アンジェイ・ワイダの逝去
映画監督のアンジェイ・ワイダ氏が肺不全のため、90歳で逝去されました(注1)。ポーランドを代表する映画監督というだけでなく、戦後の東欧を生きることを体現した人という印象をもっていました。
「大理石の男」から「鉄の男」に至る、映画製作の現実と完成した映画が現実に及ぼす政治的・社会的な力(共産主義のポーランド統一労働者党による一党独裁から自主管理労働組合・連帯などの活動による共和制への移行)を同時代で見聞きしたことは、いまでも強く記憶に残っています。社会の動向を受けて作った映画が社会を変える力のひとつになり、その社会の変化が次の映画を生み出していく、そういうダイナミズムを生み出した映画人のリーダーといえるでしょう。
また「カティンの森」のように、自分のアイデンティティと母国ポーランドの歴史(第二次大戦中のカティンの森での虐殺事件で陸軍将校だった父は銃殺された)が不可分なテーマも採り上げて映画化しました。
ただし、そうした政治的・社会的なテーマを扱った作品だけを製作していたわけではありません。観たことがある作品に限っても、フランス革命を扱った「ダントン」、ポーランドにおける資本家と農民の関係を描いた「約束の土地」、複数の監督によるオムニバス作品「二十歳の恋」などがあります。ほかにも、コメディやバックステージものもあれば、舞台で扱った作品を後に映画化することもいくつもありました。
映画監督としてだけでなく舞台演出家としても活躍していました。なかでも、坂東玉三郎を主役にドストエフスキーの「白痴」をもとに舞台化した「ナスターシャ」は、いまでもベニサン・ピットの空気の揺れとともに思い出します。
反ナチ・レジスタンスに10代の頃に加わっていたアンジェイ・ワイダは、“抵抗3部作”と呼ばれる「世代」「地下水道」「灰とダイヤモンド」といった作品で監督としてデビューしました。いずれも、ナチス占領下からソ連の支配下に置かれる時代のポーランドを舞台にした映画です。
個人的には、これらの作品そのものとともに、観た場所も忘れることはできません。高田馬場駅から早稲田通りを東に10分ほど歩いたところのビルの2階にあった、ACTミニ・シアターです(注2)。
ビルの狭い階段を上がり入場料を払って靴を脱ぎ会場内に入ります。その際に、ちょっとしたお菓子をもらった記憶があります。個人の家に招かれて映画鑑賞会に参加した感じです。座席数40といわれていますが、確か、椅子はなく座布団かカーペットのようなものに胡坐をかいて観るスタイルのため、観客が10人ほどしかいなくても、客の入りは悪くないように見えました。
そこで観たものが、アンジェイ・ワイダの“抵抗3部作”、ルイス・ブニュエルの「アンダルシアの犬」「忘れられた人々」、ロベルト・ヴィーネの「カリガリ博士」、ジュリアン・デュヴィヴィエの「舞踏会の手帖」などでした。ほかにも映画史に残る作品を多く上映していたことを覚えています。
閉館となって久しいACTミニ・シアターですが、“抵抗3部作”のような白黒の作品を上映するのに、なんとも合っていた空間でした。天井が低くて狭かったせいでしょうか、自分がワルシャワの下水道を逃げ回るレジスタンスになったように思えるスペースでした。
【注1】
たとえば、以下のように報じられています。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161010-00000019-jij-eurp
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161010-00000000-jij_afp-ent
また、アンジェイ・ワイダ氏の略歴や作品は、ポーランド広報文化センターのサイトに詳しく紹介されています。
http://instytut-polski.org/wajda/
【注2】
ACTミニ・シアターについては、ウィキペディアの記述を参照してください。
https://ja.wikipedia.org/wiki/ACT%E3%83%9F%E3%83%8B%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%82%A2%E3%82%BF%E3%83%BC
作成・編集:QMS代表井田修(2016年10月10日)