「イノベーションと企業家精神」(1)

イノベーションと企業家精神

 

(1)描かれているもの

 

 今回、ご紹介するのは、起業を志す(現に起業に取り組んでいる)方々にとって、古典ともいうべき一冊です。

 

ドラッカー名著集5「イノベーションと企業家精神」

P.F.ドラッカー著、上田惇生訳、ダイヤモンド社より20073月発行)

 

この著作の狙いは、冒頭の一文から明示されています。

 

本書はイノベーションと企業家精神を生み出すための原理と方法を示している。企業家の性格や心理ではなく、姿勢と行動について述べた。実例を使っているが、それは単に成功物語を紹介するためだけではなく、重要なポイント、基本的なルール、注意すべき点を明らかにするためである。

(中略)

本書は実践の書である。しかし、ハウツーではない。何を、いつ、いかに行うべきかを扱う。すなわち、方針と意思決定、機会とリスク、組織と戦略、人の配置と報酬を扱う。

本書はイノベーションと企業家精神を、イノベーション、企業家精神、企業家戦略の三つに分けて論ずる。これらはいずれもイノベーションと企業家精神の「側面」であって「段階」ではない。(「はじめに」ⅲページ)

 

 実際、その通りで、イノベーションの原理や基本を豊富な事例とともに述べています。イノベーションに取り組む人がとるべき行動や仕事に際して注意すべきポイントの総体が、企業家精神に他なりません。

 

原著が刊行された1985年から既に30年以上が過ぎています。引用されている事例そのものは、アップルやインテルへの言及が若干あるくらいで、それ以外は、IBM3MAT&T(ベル研究所)などです。これらからは、イノベーションの昔の教科書というイメージをもたれるでしょう。だからといって、引用されている事例が、本書の価値も決めるわけではありません。

 

ドラッカー自身が決定版ではなく最初の著作と位置づけ、嚆矢の書たるべきことを望んでいたにもかかわらず、二○年を越えてなお本書を凌駕するものは世に出ていないのが現状である。(「訳者あとがき」320ページ)

 

今回採り上げているのは2007年の翻訳の版ですが、訳者のコメントは今でも有効なままではないでしょうか。

そう思われる理由のひとつは、イノベーションと企業家精神が求められる領域にあるかもしれません。

ドラッカーの視座は、イノベーションをひとつの事業やある企業の課題として捉えるのではなく、広く社会全体を課題として捉えています。それは、先進国ででき上がっていた福祉国家をその前提となる人口構造の変化に着目することでその限界を指摘したり、フランス革命やロシア革命を例として、自己革新を妨げることになる革命そのものを否定したりするところからも理解できます。

 

かくして、経済と同様に社会においても、あるいは事業と同様に社会的サービスにおいても、イノベーションと企業家精神が必要となる。イノベーションと企業家精神が、社会、経済、産業、社会的サービス、企業に、柔軟性と自己革新をもたらすのは、まさにそれが一挙にではなく、この製品、あの政策、あちらの社会的サービスというように段階的に行われるからである。青写真ではなく機会やニーズに焦点を合わせるからである。暫定的であって、期待した成果、必要な成果をもたらさなければ消え去るからである。言い換えるならば、教条的ではなく現実的であり、壮大ではなく着実だからである。(「終章・企業家社会」310311ページ)

 

 この段落の前から、アレクシス・ド・トクヴィルの言葉を引用するなどしてドラッカーは革命を否定します。革命のように、ひとつの考え方やモデルに固執したアプローチには限界があり、それは福祉国家というような20世紀の社会モデルにも当てはまると考えています。

 ドラッカーにとってイノベーションとは、現実の漸進的で不断の変革であり、その担い手である企業家がとるべき行動や仕事に取り組む姿勢が企業家精神ということでしょう。

そう考えるからこそ、企業家精神は、一握りの成功したヒーローの物語ではありません。また、ひとつの斬新なアイデアがイノベーションを引き起こし、すべてが解決するといった夢物語でもありません。企業家精神は、一般の人々が仕事に取り組む姿勢であるし、イノベーションは一般の組織が絶えず新たな顧客(市場)を生み出していく行為です。

 この本を企業に限定せず、公的機関や社会的サービスを担う組織(医療機関や教育組織など)についても章を設けて論じていること(第14章)からも、イノベーションと企業家精神が社会全体に広く求められている、そうドラッカーが明確に意識していることが理解できます。

 

 つまり、今回ご紹介する本は、実は、起業を志す(現に起業に取り組んでいる)方々は当然として、営利事業に直接関係がなくても、組織や仕事の意義が改めて問われるような、何らかの困難に直面している人々にこそ、企業家精神に則って行動しイノベーションを実現していく上での参考書として活用されるものでしょう。

 

文章作成:QMS代表 井田修(2016918日更新)