事業を受け継ぐ者(前)

 事業を受け継ぐ者(前)

 

今年は、ウィリアム・シェイクスピアの没後400年に当たります。アメリカのオバマ大統領がイギリスで「ハムレット」を鑑賞するなど、423日(命日)の前後には、欧米を中心にさまざまなイベントや記念公演が行われた(注1)ので、ご存知の方も多いでしょう。

 

シェイクスピアの作品のなかで「リア王」(注2)といえば、四大悲劇のひとつとして、また、王位継承や世代交代の難しさを描いた劇として、鑑賞したことがある方も少なくないと思われます。

 「リア王」を経営の視点で見れば、当然、事業承継というテーマが見られます。ブリテンという王国をひとつの事業体として見れば、それを分割して継がせるということは、実際には滅多に見られませんが、そもそも難度が極めて高いチャレンジといえるでしょう。そもそも事業を承継することの難しさ、受け継いだ事業をさらに発展させることの困難さは、当事者としての実体験がなくても想像できます。

 

 自ら創業して事業を軌道に乗せることも容易なことではありませんが、先代から受け継いだ事業を発展させる次代の経営者というのも、親族が世襲する場合であれサラリーマンが継ぐ場合であれ、成功例は限られています。

 後継の経営者が先代(まで)の経営者が確立してきた事業を大きく作り変えることに成功したもののなかから、特に親族が後継者となったケースに絞って考えてみると、たとえば、ファーストリテイリングの柳井正氏、松井証券の松井道夫氏、星野リゾートの星野佳路氏などの名前が浮かびます。

  これらの実例ほど一般に知られているわけではありませんが、筆者が過去に直接見聞きしてきた会社のなかにも、確立した事業を承継し、それを抜本的に改革して新たな事業に作り変えることに成功したケースが、いくつかありました。そのなかの5社ほどを簡単にご紹介したいと思います。

 なお、守秘義務の点から、ご紹介するに当たって、具体的な個人名および事業や地域を特定して記述することは避けております。ご理解のうえ、ご容赦ください。

 

 さて、A社は、北陸地方を地盤として素材・エネルギー関連の商材を扱う商社でした。創業者の長男がこの会社の二代目の経営者となった頃から、素材やエネルギー関連の商材だけでは発展が望めないことは、既に明らかでした。そこで、次第に情報システムや生活関連サービスに事業の軸足を移していくことになりました。

 ただ、いきなり事業経験のない分野にゼロから進出しても、高い授業料を払わされるのがオチです。当時の会社の規模からは、いきなり未知の事業に取り組むなどというリスクを冒すことは、到底、許されるものではありませんでした。

 そこで、他の企業と組んで未知の分野に進出しようとしました。その際に、相手構わず組むことはせず、自社の出資比率が50%以上となること、日本全体での売上は小さくても北陸地域では上位の売上が確実に見込めること、相手は既にその事業についての経験やノウハウがあること、などの条件を満たした相手とだけ組むようにしました。

  A社は、まだまだ地方の中小企業でしたが、それでも日本を代表するような大企業と合弁を組んだり、出資比率を上げたり買収したりすることで、大企業の子会社・孫会社などを自社に取り込むなどして、少しずつ、事業構成を変えていきました。

 この社長の持ち味は、そうした合弁や買収(後に売却も)などのディールをまとめる交渉の際に最もよく発揮されました。とにかく粘るのです。交渉相手が席を立ったところからが勝負だそうで、もう一度、席に着かせて時間などはお構いなく、相手がこちらの条件をイエスと飲むまで、決裂しないように粘り強くお願いすることに尽きるそうです。家業を継いで自分の資産も担保に入れてディールに臨む経営者と、事業部や支社を代表するとはいってもサラリーマンである人とが、真剣に交渉するわけですから、もしかすると、最初から勝負は着いていたのかもしれません。

 事業転換に時間はけっこうかかりましたが、A社は着実に業績を伸ばすことができました。今では、次の社長(二代目の長男)のもと、海外にも事業を伸ばすなど、次の発展フェーズに入っているようです。

 

 次にご紹介するB社は、A社と同様に北陸を拠点とする会社です。北陸には有名な温泉地がいくつもありますが、そのなかのある地域で有名な旅館です。

 旅館業は、伝統的には男性の経営者が営業や財務を中心に経営全般を管理し、女性(社長夫人である女将さん)がサービスやオペレーションを中心に人のマネジメントに当たる、そんな役割分担で事業が運営されてきました。

  B社も、基本的には同様の役割分担がありましたが、社長を受け継いだ創業者の長男が、サービス業の仕組み化にいち早く取り組みました。つまり、マニュアルを整備してサービスの標準化を図ったり、バックヤードを機械化・自動化したりして、業務効率の向上ときめ細かいサービスの実現を両立させてきました。また、企業内保育園を設立・拡充するなど、労働環境の整備にも積極的な投資を行い、団体旅行中心の旅館業から、個人旅行にしっかりと対応し、顧客満足度と社員満足度のシナジーを追求する業態に転換してきました。その結果、いまでは、こうした経営手法も含めて、海外に進出し展開するほどになっています。

 この社長の強みは、こうした仕組み作りにどこよりも早く着手することで、個人客への対応が可能となるように、柔軟なサービス体制を実現し、それに磨きをかけ続けてきたことに尽きるでしょう。その基本に、数十年来、変わることがないモットーがあります。そのモットーに忠実に仕事の仕組みを考えて改革し続けてきたことが、成功の鍵だったのかもしれません。

 事業を受け継ぐ者として、変えるべきものと変えてはいけないものを峻別することができていたからこそ、このように事業を作り変えて伸ばしてきたと言えるでしょう。

 

(後篇に続く)

 

【注1

たとえば、次のように報じられました。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160424-00010004-afpbbnewsv-int

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160423-00000015-zdn_n-sci

http://www.jiji.com/jc/article?k=2016042200572&g=int

 

【注2

「リア王」については、シェアクスピアのテキスト全文をはじめとして、さまざまなサイトや資料があります。演劇に詳しくない方が概略を掴むには、まずはウィキペディアを参照されることをお薦めします。

 

作成・編集:QMS 代表 井田修(2016719日更新)