デヴィッド・ボウイの死を悼んで
今週、デヴィッド・ボウイがガンのために10日に死去した、とのニュースがありました。
歌手として、また、パフォーマーとしてのデヴィッド・ボウイといえば、“スペース・オディティ”や“ジギ―・スターダスト”といった60年代から70年代の音楽とビジュアルと映像、“ヒ―ローズ”などの70年代後半の音楽、さらには“レッツ・ダンス”といった80年代のMTV興隆期の音楽とミュージック・ビデオなどなど、数多くの作品とともに、多大な影響力がありました。
いずれの時代においても、音楽だけでなく、映像やビジュアルを明確に意識した、コンセプチュアルな作品が思い浮かびます。
日本人にとっては、映画“戦場のメリー・クリスマス”でのイギリス軍将校役が特に広く知られているところでしょうか。
映画(洋画)ファンにとっては、“地球に落ちて来た男”や“ハンガー”といった、SF的であったり幻想的であったりする作品を思い出された方も多いでしょう。どちらも、デヴィッド・ボウイでなければ、作品そのものが成り立たなかったかもしれない役を演じています。
さて、デヴィッド・ボウイとビジネスとの関わりというと、ボウイ債(注)に言及しないわけにはいきません。
ボウイ債というのは、1997年に組成・販売された私募債です。
この債券は、デヴィッド・ボウイがそれまでに発表していた楽曲の将来にわたる使用料(著作権収入)を担保として発行され、投資家に販売されたものです。知的所有権とその権利から発生する経済的価値を分離する手法の嚆矢となったと言えるものです。
この頃は、金融業界における証券化の流れが大きく加速していた時代でした。その中でも、音楽業界、特にひとりのアーティストが中心となって、証券化された商品は、他に存在しませんでした。
ボウイ債発行の記事を目にした97年当時、イメージ通り、革新的なことにチャレンジする人らしい試みだ、と思ったものでした。ただ、そのチャレンジがアーティスティックな分野ではなく、ビジネス、それも金融という分野であったことに、いささか驚かされたので、今でもボウイ債の記事を読んだことを覚えています。
ガンで亡くなったと報じられていますが、もしかすると、ガンの治療法などについても、何かしらイノベーティブな試みにチャレンジされていたのかもしれません。
音楽やデザインや映像だけでなく、ビジネスにおいてもイノベーションやチャレンジを体現して見せてくれた人が、また一人失われたことは、誠に残念です。謹んでご冥福をお祈りしたいと思います。
【注】ボウイ債の概要については、たとえば、以下の記事を参照してください。
「金融でも先駆者だったデビッド・ボウイさん 『ボウイ債、発行』」
ウォール・ストリート・ジャーナル1月12日配信
「『ボウイ債』デヴィッド・ボウイ氏が金融界でも起こした革命」
ZUU online1月13日配信
作成・編集:QMS代表 井田修(2016年1月14日更新)