私の見聞きした物語

私は、ある企業グループでシェアードサービスを提供する会社に勤めています。

主に人事・教育関係を担当するグループで、通常は3名程度の営業開発チームのリーダーとして、新規案件の企画開発から実施、フォローアップのプロセスを自分で実行しています。チームメンバーは、先輩社員がはいることもありますが、たいていは後輩2名程度といっしょに営業開発の個別案件を担当しています。

ただ、後輩と言っても、新卒で入社してくる人の面倒をみたり、他業界から中途で入社したくる年齢では上の人といっしょにやったりしています。

 

ある日、Hさんという大学の先輩に当たる人が中途採用で入社してきました。労働法の専門家という話だったので、法学部出身とはいえ、労働法など体系だって勉強したことのない私にとっては、ありがたい人が入ってきてくれた、というのが実感でした。多分、グループの他のメンバーもそういう気持ちで、期待していたと思います。

早速、Hさんと私は、グループ長が当時担当していた案件を手伝うことになりました。この顧客とは、すでに何年かの付き合いがあり、グループ長や私は先方の担当役員や実務責任者とも関係ができていました。

案件は、管理職研修のフォローアップということで、Hさんの得意分野の労働法の面から、管理職として抑えておきたいポイントをまとめて、グループワークなどを通じて学習してもらおう、というものを予定していました。これまでの経緯や先方のニーズなどをグループ長が説明し、これまでの資料一式も私から説明しながら渡して、1週間後に研修案および研修資料の叩き台をHさんに作ってもらうことになりました。

Hさんは、入社早々グループ長直轄の案件を担当することになって、「転職してすぐにチャンスを貰えるなんて」などと言って、ちょっと舞い上がっている感じすら受けました。それだけ張り切っていた以上に、いいところを見せなければ、とプレッシャーもあったのではないか、と今は思います。

 

すぐに1週間が経ちました。私もグループ長も、その間ほとんど、別の顧客先に張り付いたり地方に出張で出ていたりして不在でした。Hさんから特に連絡もなく、グループの別の人からHさんが頑張っていることは聞いていたので、ちゃんと仕事は進んでいるのだろうと思い、これといって心配はしていませんでした。

 

さて、1週間後、Hさんが研修案と使う資料をまとめて、グループ長に見せると、事件は起きました。

グループ長は資料を一目見るなり「違うんだよ、こうじゃなくてさあ」といきなり嘆くように、一言、発しました。私もいろいろな場を経験していますが、このときほど、瞬間的に氷が張った感じを受けたことはありません。

それから、1時間くらい、すべての資料について、内容も書き方も、すべて否定の連続でした。口調は淡々としている分、心の底から怒っているのか、呆れているのか、私には何ともいえませんでした。Hさんは、ほとんど説明や反論をせず、うなだれたままでした。

 

この案件は、結局、Hさんと相談しながら私がまとめることになったのですが、実は、内容はHさんが最初にまとめた通りでした。ただ、見せ方というか資料の作り方が、ちょっと違っていたのです。

内容的には労働法制とマネジメントの実務対応ということでしたから、やはり、研修講師はHさんにしてもらった方がいいだろう、ということになりました。

私や先輩社員の前で事前にプレゼンの練習をして、研修当日に臨みました。結果は、100点満点とは言えませんが、まずまず合格点と私は思いました。

ところが、研修終了後、グループ長のダメ出しが始まりました。「Hさんさあ、もっと、はっきり喋ろうよ、できるでしょう」から始まり、明日も続きがあるというのに、初日の反省会が45時間続いたことを覚えています。横で見ていて、はっきりと落ち込んでいるのがわかりました。

 

それから、1ヶ月ほど経ち、グループ長が直接タッチしていない仕事ではHさんは実力を発揮しているようでした。そこで、ある先輩社員(この人は個人的にHさんと飲みに行くなど一番親しかったかもしれません)の提案で、グループ長のところに依頼のあった社外原稿をHさんに書いてもらうことになりました。

Hさんは確かに喋るよりは書く方が得意だったかもしれません。短いものとはいえ、社外に発表する論文です。今度こそは、という意気込みもあったと思います。

 

2週間くらい経ち、土日を潰して取り組んだHさんの力作が仕上がりました。グループ長は提出された原稿を黙って受け取ると、目の前でボールペンで赤を入れ始めました。30分くらいたったでしょうか、結局、元の原稿に何が書いてあったのか、判別できないほど赤い字で埋まり、Hさんに戻されました。

Hさんは、黙って、というか呆然として、原稿を受け取って席に戻りました。この時は、さすがに誰もフォローのしようがなく、自分の仕事をするふりをするしか、ありませんでした。

 

それからの数カ月は、目立った問題はありませんでした、ただ、Hさんは明らかにグループ長が戦力外扱いしているようで、新しい案件はほぼすべて、もとからいる先輩や私に回ってきました。グループ内の月例会議などで、Hさんだけ特に報告することもなく、覇気がないように感じられました。改めて思い出してみると、会議中も自分のデスクで仕事をしているときも、このころからボーっとしていることが多くなったようです。

 

そのまま、入社から半年ほどが過ぎて、4月の定期異動がありました。現在のグループと形の上では兼任とはいえ、物理的にはHさんが別の部署に異動になったのです。

 

この時は、本当に嫌な予感がしました。Hさんが異動になった会員サポート部というのは、私が勤めている会社が属する企業グループのほか、親会社の取引先やグループ企業各社の主要な取引先など、法人会員向けに定期的に情報誌を発行したり、セミナーや研修旅行などを企画・開発したりする部署です。仕事の内容からいえば、Hさんの前職に近いものでした。

ただ、この部署の部長という人は、親会社からの出向者でした(私のいたグループ長も同様の出向者でした)が、親会社の管理職だった頃に部下を複数、自殺に追い込んだという噂のある人で、他の出向者の間でも問題視されている人でした。

 

異動後のHさんは、もともと細身の人でしたが、ちょっと見ない間に目に見えて痩せていきました。たまに私がいるグループのほうに顔を出すこともありましたが、異動先の部長は「言うことがころころ変わってついていけない」とよくこぼしていました。入社当初の明るい感じが全くないと感じたのは、私だけではないでしょう。

異動してから3ヶ月後ほどでしょうか、Hさんに障害が見られるようになりました。右利きなのに、右手でマウスを使えないようなのです。昼食時にも箸を持てないようで、左手でスプーンを使っている姿を見かけたこともあります。これには、驚きました。すぐに病院に行くように勧めたのですが、Hさんも意地があったのでしょうか、いま担当しているセミナーが終わるまでは頑張るといっていました。

 

間もなく、Hさんは右半身全体が麻痺して入院してしまいました。1ヶ月ほどで復帰しましたが、首にコルセットをしたまま仕事をしていました。後で聞いた話では、ストレスにより頸椎に異常が生じて、神経が物理的に壊れる寸前だったそうです。

 

 

以上の物語を、NIOSH職業性ストレスモデルにしたがって、要因別に分析してみます。

 

仕事のストレッサー

 

・「私」のグループのグループ長との仕事上の関係

・グループ長のマネジメント・スタイル(指示や指導のやりかた)

・異動後の会員サービス部の部長との仕事上の関係

・異動後の部長のマネジメント・スタイル(指示や指導のやりかた)

・「私」など「年下の先輩」に相当する同僚との人間関係、

 

個人要因

 

・転職したばかりで結果をだしたいという気持ち

・反論しない(できない)

・上司に言われるがまま

・喋るのが苦手?(書く方が得意)

・もともとは明るい

・落ち込みやすい?

・無理をしがち

 

仕事外の要因

 

(一般には家庭や家族の状況、コミュニティでの問題などがあるが、このケースでは特に見当たらない)

 

緩衝要因

 

・「私」のグループにいる先輩社員のひとり(一番親しかったかもしれない人)

・異動後は「私」のグループのグループ長以外の人

 

ストレス反応

 

・明るい感じから、覇気が失われ、ボーっとしていることが目立つようになる

・異動後は、目に見えて痩せるようになり、明るさはみえなくなる

・最終的には右手の麻痺

 

疾病

 

・頸椎の異常による右半身麻痺による入院・休職

 

 

「私の見聞きした物語」作成及び分析:QMS代表 井田修

20151015日更新)