ビジネススクールで教えているファミリービジネス経営論 

 

(1)本書の概要

 

 今回、ご紹介するのは、体系だって学ぶことがむずかしかったファミリービジネス(注1)について、アメリカやオーストラリアでMBAのコースで教えている著者たちが、ケーススタディやCEOのストーリーを通じて理解することを意図して書かれた本です。

 

ビジネススクールで教えているファミリービジネス経営論 

(ジャスティン・B・クレイグ、ケン・ムーア著、東方雅美訳、星野佳路解説、株式会社プレジデント社より20196月発行)

 

原著のタイトル(“Leading Family BusinessBest Practices for Long-term Stewardship”)にあるとおり、この本はファミリービジネスの最大の特徴をスチュワードシップにあると述べています。これは、受託者責任と訳される言葉ですが、日本語で簡潔に理解してもらうには難しい用語です。 

この点を、株式会社星野リゾート代表取締役社長で、105年の歴史を持つファミリービジネスの4代目としてコーネル大学でホテル経営学を学び、受け継いだ旅館業を新しい宿泊サービス業として革新してきた本書解説者の星野氏は、次のように例えています。まず、この感覚を理解しておきましょう。 

 

わたしなりの言葉で表現すると、スチュワードシップとは「自らを駅伝の選手のような者として捉える感覚」にあたります。 

ふつうの会社の場合、株主はリターンを最重視するので、役員に対して利益を高めることを求め、(中略)ファミリービジネスの場合は短期的な利益の上昇よりも長期的なサステナビリティが重視されます。駅伝において「区間賞をとること」よりも「たすきをつなぐこと」のほうが高次の目標であることと同じです。(中略)スチュワードシップのある人は、「たすきをつなぐ」というファミリー企業としての目的が自身の目的と一体化しているために、自分の区間でどういう役割を果たせばよいのかをはっきりと自覚しています。(中略)区間賞をとるほど調子がいいからといって次の区間も走ることは許されない。だからこそ「つなぐ」ことに集中できるのです。(「ビジネススクールで教えているファミリービジネス経営論」67ページより)

  

さて、本書は主に2部から構成されています。 

「第Ⅰ部 組織としてのファミリービジネス」では、組織の面から見たファミリービジネスの特徴を、スリー・サークル・フレームワークやAGESフレームワークを使いながら説明しています。 

「第Ⅱ部 ファミリービジネスを率いるためのリーダーシップ」では、ファミリービジネスを受け継ぎ、発展させて、次の世代に引き継いでいくリーダーのあり方をSAGEフレームワークに基づいて説明しています。 

フレームワークや概念を説明するのに、多くのケーススタディを活用しているのも、本書の特徴のひとつです。実際、本書は理論の解説ではなく、ストーリーを通じてファミリービジネスのリーダーとしてどう成長していくのか、という成長の物語という面もあります。 

そして、「最後のケーススタディ」という補遺があります。このケーススタディに最初に読んで、自分がこのファミリーにアドバイスを行う立場であったら、何を誰にどのように語るのか、最初に考えてその結果をメモしてから、本書全体を読み進めると、内容の理解がさらに進むのではないかと思われます。 

 

今回のご紹介では、本書の概要を説明するとともに、筆者自身がこれまでに経験してきたいくつものファミリービジネスの問題状況とも照らし合わせて、スチュワードシップを軸としたファミリービジネスの経営とリーダーシップを考えてみたいと思います。

  

【注1

日本語で家族経営というと、個人とその家族(配偶者や親子など)で運営されている小規模事業体をイメージしがちです。一方、株式所有などを通じてある個人やその一族がオーナーとして振る舞う組織として、オーナー会社といった言葉もあります。こちらは東証一部上場会社から中小企業まで、さまざまな企業について幅広く呼称されるものです。

本書でいうファミリービジネスは、明確に定義されているわけではありませんが、家族経営からいわゆるオーナー会社まで広く含まれていると考えて差し支えありません。

 

  

(2)スリー・サークル・フレームワーク

  

本書の最初に紹介されるのは、ファミリービジネスを組織面から見た場合、最大の特徴となるスリー・サークル・フレームワークというものです。家族という組織(ファミリー)、役員や管理職として実際の事業運営にあたるオフィサーやマネージャーとしての機能(経営執行者)、株主として株主総会や取締役会を通じて経営を監督する役割(オーナー)、これら3種類の組織が相互に重なり合って活動していくところに、ファミリービジネスの組織上の基盤があります。

  

「スリー・サークル・フレームワーク」は、ファミリー企業と非ファミリー企業との違いを表す方法として、世界的に受け入れられています。簡単に言うと、ファミリー企業は、ファミリー、経営執行者、オーナー(所有者・株主)という三つのサブシステム(下部構造)が、重なり合い、作用し合い、依存し合っているシステムと考えられます。 

(中略)たとえば、わたしは現在三つの円すべてで役割を担っています。一方で、わたしの叔母はオーナーであり、ファミリーでもありますが、この会社で働いたことがないので、わたしとは異なる見方を持っています。いとこたちのうち何人かは、この会社で働いたことがなく、オーナーでもなく、ファミリーの円だけに属しています。会社で働いていてもオーナーでないいとこもいます。(本書2426ページより)

 

一般に、企業は経営執行者とオーナーが必ず存在します。 

それが完全に一体化した形態が、単独株主のワンマン社長がすべてを決める、完全なワンマン会社です。経営執行者とオーナーが完全に分離すると、サラリーマン(雇われ)社長を中心とする役員や上級管理職からなる経営執行者(グループ)と、株式市場で自由にオーナーシップ(株式)を売買する一般の投資家(個人投資家、機関投資家、ファンドなど)という組織構造になります。こうしたモデルには、ファミリーが関与するところはありません。 

ちなみに、経営執行者とオーナーが重なることは往々にしてある(というよりも、そのほうが多いかもしれませんが)のですが、だからといって、経営執行者やオーナーの家族(配偶者、血縁関係にある者、姻族の関係者など)が直接、その企業の経営に関わるものではありません。もし直接関わると、業績不振や倒産といった状況を招けば、すぐに公私混同といった批判に晒されるかもしれません。 

 つまり、一般の企業にはないファミリーという存在が企業経営に直接的に関わっているという特性こそが、ファミリービジネスの独自性です。そして、それがビジネスにおける強みとならなければ、関わる意味が失われてしまいます。 

 オーナーとしての話であれば株主総会、経営執行者としての話であれば取締役会や経営委員会などがあります。しかし、意外に少ないのが、ファミリーの課題にきちんと向き合い、必要な意思決定を行い、議事録を残す正式な組織体です。本書では、ファミリーカウンシル(一族諮問会議とか家族評議員会というべき会議体)とファミリーガバナー(ファミリーカウンシルを主宰してファミリーの意思決定を行うリーダー)がモデルとして提示されていますが、日本ではほとんど見られない組織です。 

あるファミリー企業の経営者(2代目)は、社長に就任してからは一度も、本社兼工場と同じ敷地内にある自宅で同居している父親(創業者で取締役相談役)とは、本社の社長室でしか仕事上のコミュニケーションはとらないようにしたそうです。意識的にそうしないと、仕事の話も親子間の問題もごちゃごちゃになってしまい、結局、ビジネスがうまくいかない恐れが大きかったそうです。その代わりに、一歩、自宅に入ると、親子旅行の予定や孫の教育方針などについては、できるだけ意見を聞き入れるようにしたそうです。

 

 さて、ビジネスの具体的な組織構造は、機能別組織にせよ、事業部制にせよ、マトリクス組織にせよ、持株会社制にせよ、その会社の事業の成長度合いや地域的な広がりや種類の多さ・少なさなどに応じて基本的には決まるでしょう。 

 それではファミリービジネスならではの組織上の特性は、ファミリー・経営執行者・オーナーという三つのサークルが重なり合って存在し活動するだけでしょうか。 

 

ファミリー企業のさまざまな事業活動をサポートする組織構造が、非ファミリー企業と異なっており、また、認められる権限と自律性も異なっているならば、経営管理の体系も大きく異なっていると考えるのが合理的でしょう。非ファミリー企業では、高度に洗練された経営管理体系を取り入れています。一方でわたしが見てきたようなファミリー企業のリーダーは、「クラン・コントロール」を重視しています。(同書38ページより)

  

ここでクラン(一族とか一家という意味)・コントロールというのは、“共通の価値観や信念、文化などを用いて従業員を動かし、目標の達成を図ること”と定義されています。 

一般の企業であっても、組織の構造や運営システムだけでなく、その企業のもつ文化やビジョンが組織や事業に与える影響が着目されるようになってから、相当な時が経っていますが、ファミリービジネスにおいては、まさに価値観や文化を体現するファミリー(の代表者)が存在するところに、その特徴があり優位性があります。 

その典型的な例として、日本旅館における“女将”という役割を指摘することができます。女将といえば、通常は旅館の当主である主人の妻ですが、旅館業においては、仲居などのサービススタッフを統括する責任者でもあります。つまり、ファミリーの一員であり、経営執行者のひとり(サービス部門の経営執行者といえる存在)でもあります。ときには、先代の保有していた株式を一部相続するなどして、オーナーとしても振る舞うケースもあるでしょう。 

女将は単なる経営執行者ではありません。その旅館のサービスとは何かを体現する存在です。いかにサービスをシステム化しマニュアルやトレーニングで徹底できたとしても、なぜこうするのか?という価値基準をその場で動いて示すのが、女将でしょう。 

こうした事例は、創業者の世代でも見られる場合もあります。特に夫妻で創業したようなケースでは、夫のほうがビジネス面をみて、妻のほうがサービスやブランドを確立するのに多大な寄与をしていることが、実によく見受けられます。 

ファミリーという存在がクラン・コントロールを可能にするのであれば、その優位性を活用してビジネスを伸ばして収益を上げていくのが、ファミリービジネスの組織に求められる機能といえるでしょう。 

 

 

(3)AGESフレームワーク

 

本書では、ファミリービジネスに独自の特徴が見られる分野として、AGESが提示されます。Aはアーキテクチャー(ビジネスの体系・構造・戦略)、Gはガバナンス(企業統治)、Eはアントレプレナーシップ(起業家的活動)、Sはスチュワードシップ(受託責任)です。

 

さて、A(アーキテクチャー、ビジネスの体系・構造・戦略)は非ファミリー企業においても事業戦略・組織構造・業務体系などの分析を通じて、いわゆる競争戦略論や組織論などで言及される分野です。 

ファミリービジネスにおいては、事業は保守的に運営し代々携わってきた事業を継続していくだけといった先入観がいまだに支配的であるかもしれません。しかし、ITや人材マネジメントに代表される分野における破壊的な環境変化は、同じビジネスを相変わらず同じように運営していくことを許してくれるはずもありません。 

 

長年のあいだ、多くの人がファミリー企業は事業の多角化に消極的であると考えてきました。しかし、業界の破壊的変化によって事業の不確実性が高まるなか、歴史あるファミリー企業でもそんなことは言っていられなくなりました。変化によるリスクへの懸念を、買収を通じた成長によって解消することが議論されるようになってきたのです。(本書5051ページより)

  

 つまり、ファミリービジネスにおいても、一般の企業と同様に、もしくはそれ以上に、事業環境の変化への積極的な適応、時には自ら事業環境や競争状況を破壊していくことも必要であり、そのためには自らイニシアティブをとって成長戦略を描き、迅速に実行していくことが、A(アーキテクチャー、ビジネスの体系・構造・戦略)の分野で最も重要なテーマとなります。 

 この指摘から筆者はある化学メーカーのことを思い出しました。この会社の二代目社長は、先代の作り上げた技術と顧客の基盤をデジタルな基盤に移し変え、製品の開発スピードを上げて製品の幅を加速度的に広げるとともに、それまでは実績のなかった顧客(業界)にも試作品を低コストで提供して新たな製品グループを生み出すことに成功しました。 

また、一般によく知られている例としては、星野リゾートをあげることができます。業績不振や廃業に直面した宿泊施設を引き受けたり、まったく新しい宿泊拠点を作り上げたりして、ファミリービジネスであった宿泊業(日本旅館)の再生を通じて確立してきた事業運営の方法論を軸に成長を実現しています。その結果、従来の日本旅館だけでなく、都市型の宿泊施設や海外リゾートなどにもビジネスの幅を拡大しています。 

また、買収による成長が成長ドライブのメインではなく、内発的にSPAという事業構造に会社を作り変えて成長してきたユニクロ(ファーストリテイリング)も、ファミリービジネスのアーキテクチャーを作り変えて成長戦略を実現してきたという点では同様といえます。 

 

 次に、G(ガバナンス、企業統治)におけるファミリービジネスの特徴は、取締役会(注2)が個人的な関係のない人々で構成されるのではなく、血縁者であるファミリーで構成される点にあります。 

 起業した当初であれば、オーナー(株主)兼経営者(CEOや社長)が1人ですべてを決定するケースが数多く見受けられます。そこにはガバナンスの仕組みは形式的にあったとしても実質的にはないも同然です。 

事業が成長するにつれて、またそのファミリー企業が発展していくにつれて、取締役会の規模も拡大し、その構成もファミリーだけからファミリー以外の人々も参画するものとなっていきます。 

 

独立した(ファミリー以外の)取締役を任命することが、ファミリー企業の取締役会の機能を向上させ、事業の価値を高めるという考え方があります。直感的にはその主張が正しいと感じるものの、独立の取締役が実際に価値を高めるという体系的な証拠はなかなか見つかりません。 

わたしが用いているやり方は、取締役の「独立性」ではなく、純粋にその人自身が持ち寄る能力を見るということです。特にわたしがすべての取締役に必要だと考えるのは、「思考の独立性」と「説明責任」についての理解、そして、進んで説明責任を果たそうとする意欲です。このように、取締役候補者の出自だけに注目するのではなく、その能力に重点を置いたほうが、取締役会のパフォーマンスは向上するということが、わたし自身の経験からも言えます。 

(中略)取締役会のメンバーについて最後に検討したいのは、ガバナンスはファミリー企業において最も論争のもととなる問題だという点です。なぜなら、さまざまなファミリーのメンバーが取締役になりたがるからです。たとえ能力やスキルや経験が不十分でも、ファミリーの一派を代表しているのだから取締役になれて当然だと考える人がいます。取締役になりたい理由が何であれ、ファミリーのすべてのメンバーが理解すべきなのは、取締役会は「事業に対して」責任があるのであり、自分を取締役に就かせてくれるグループに対して責任があるのではないということです。(同書6869ページより)

  

本書はファミリービジネスの経営について述べているのですが、ここで主張されていることは、ファミリーをプロパー社員と読み替えれば、相変わらず新卒採用の総合職社員を軸に事業運営をしているような企業にとって、実に耳の痛い指摘ではないでしょうか。一見、グローバルな事業活動や人材マネジメントを実現している企業においても、株主などの外部関係者と結びついた利害関係者の立場を代表する取締役であったり、法曹出身や官僚といった経歴だけで委任される社外取締役というのも、ここでいう「出自だけに注目する」取締役にほかなりません。 

企業統治において、取締役や監査役を「思考の独立性」や「説明責任」といった、本来求められるはずの能力の面で選んでいる企業は、ファミリー企業であるかどうかにかかわらず、筆者個人の知る限り、ほとんどないと言えます。

 

第三に、E(アントレプレナーシップ、起業家的活動)は、革新性・進取の気性・リスク志向(注3)という起業家志向をもって企業が行う活動のことです。これは、A(アーキテクチャー、ビジネスの体系・構造・戦略)で言及したように、事業は保守的に運営し代々携わってきた事業を継続していくだけといった先入観がいまだに支配的であるファミリービジネスにとって、実は最も重視すべきものかもしれません。 

 

わたしは、自分のファミリーの会社で働く前に、外部の企業で仕事をしたことは最もよい選択だったと考えています。父はわたしが、(一族のお金でなく)他人のお金で失敗を経験したことを喜んでいます。わたしの子どもたちや甥や姪も、同様に外の企業で経験を積むように求められるでしょう。できれば、失敗よりも多くの学びを経験してきてもらいたいものです。彼らが一族の事業に社員として戻ってくるか否かにかかわらず、彼らが体得するものは彼ら自身のためになり、一族のビジネスのためにもなります。彼らはより優れたオーナーになるはずですから。(同書43ページ)

 

E(アントレプレナーシップ、起業家的活動)は、現代ではすべての企業、すべての組織にとって不可欠なものです。創業からすでに長い時間が経っているファミリー企業にとって、E(アントレプレナーシップ、起業家的活動)を導入するには、何はともあれ、ファミリーのリーダーであり企業の責任者である人自身がE(アントレプレナーシップ、起業家的活動)をごく自然なものとして受け止めて実践していることが求められます。 

 そこで、社外でビジネスキャリアをスタートさせ、その初期からチャレンジと失敗を経験させることが肝要となります。 

 日本の場合、ファミリービジネスを受け継ぐ人物をいきなり自社に入社させて、帝王学を学ばせるという例が一般的かもしれません。その場合、周囲もその人に厳しい仕事をあえて任せることをせず、できて当たり前の仕事をやらせて、形だけの実績作りに励んだり、泥をかぶりそうな難題や汚れ仕事はやらせずに、陽の当たる舗装された道を歩ませたりすることが多くみられます。しかし、これでは、せっかく、E(アントレプレナーシップ、起業家的活動)を身につけるチャンスをみすみす失っているようなものです。 

 また、「他社に武者修行に出す」と親は言っても、取引先など事情を熟知している先に預けるようでは、受け入れた相手が忖度しまくるでしょうから、本人がE(アントレプレナーシップ、起業家的活動)を身につけることは難しいでしょう。 

 仮に、E(アントレプレナーシップ、起業家的活動)を次世代のファミリーのメンバーが身につけたとして、実際にイノベーションを起こし次の世代へとビジネスが引き継がれていくようになるには、ファミリー企業にはどのような工夫が求められるのでしょうか。

 

研究者たちは最近、長期志向に関して、ファミリー企業に独特な側面を認識し始めました。たとえば、CEOの在籍期間が長いこと、長期の投資を好むこと、事業を次の世代に承継しようとすること、出資者が忍耐強いこと、世代を超えた目標があることなどです。(同書102ページより)

 

ここで指摘されているのは、いずれも長期的な視点を重視していることです。トップマネジメントそのものが長期的で安定していること、投資のスパンが長く短期の業績変動に企業経営が左右されないこと、出資者すなわちファミリー自身が短期の業績に一喜一憂しないこと、世代を超えて受け継がれるに値するものが認識されていること、こうした条件を満たすものといえば、やはり老舗という言葉が浮かびます。 

老舗というと、数十年、なかには百年単位で、同じことをやっている会社というイメージをもつかもしれませんが、その実態は変化の連続体というべきものです。醸造業、和菓子製造販売業、旅館業など、典型的な老舗ビジネスに、その代表例が見られます(注4)。 

変化の連続体でなければ、倒産や廃業に迫られます。ときには、倒産や廃業の危機に直面したからこそ、新たな創業と呼びうるようなE(アントレプレナーシップ、起業家的活動)を実現することもあります。 

 

ファミリービジネスは、E(アントレプレナーシップ、起業家的活動)を実行すると同時に、それを次世代に受け継いでいくところに最大の特徴があります。つまり、スチュワードシップです。 

S(スチュワードシップ、受託責任)とは、「ファミリー企業においては、ファミリーの財産や事業を、先代から受託されたものとして引き継いで管理し、それを未来の世代に渡していくこと、またそのような姿勢」(本書112ページ)です。これだけでは、当たり前のことを言っているようですが、スチュワードシップが失われたときのことを考えてみると、その重大さが理解できるでしょう。 

 

感情や人間関係のために競争力についての認識を曲げるようなファミリー・グループが存在することが、エントレンチメント(注5)がファミリー企業でより多く見られる一因です。(中略)経営者がエントレンチメントを正当化する例としては、よくない業績を隠す、意思決定を正当化するために外部コンサルタントを雇う、バイアスのかかった情報を流す、経営者独自の能力を基盤とした事業戦略を立ち上げるなどして、経営者を交替させられないようにするなどがあります。間違いなく、誰もがこうした例を自分の会社で見たことがあるはずです。 

エントレンチメントは「ホールドアップ問題」という形で、より大きなエージェンシー・コストにつながる可能性があります。ホールドアップ問題は、ファミリー出身の経営者が自らの能力ではなくファミリーとしての地位を基盤として不釣り合いな力を握っているとき、オーナーを黙らせて、自分の利益を優先させるよう会社に求めるというものです。固定化されたファミリーの経営者は、社内や時には社外の取締役たちが恩義を感じるようにもできます。 

(中略)エントレンチメントは、ファミリー企業において利他主義と逆選択の問題を悪化させる可能性もあります。利他主義は、一般的には他人の幸せを思って行う行動や考え方を指します。しかし、ファミリー企業では、ファミリーのメンバーに対する利他主義がエージェンシー・コストにつながる場合があります。たとえば、固定化されたリーダーがいて、ファミリーの構成員それぞれの業績にかかわらず、全員に平等に報酬を与える権限を持っている場合などです。 

逆選択もエージェンシー・コストにつながる可能性があります。なぜなら、外部の人材が幹部になれるチャンスが限られているからです。幹部のポジションに外部の有能な人材を採用せず、ファミリーで固めてしまうのです。能力が不確実な少数のファミリーから選ぶ結果、逆選択が生じ、研究開発が重要な業界では特に重大な影響を及ぼします。(同書118121ページより)

 

 ここでも、G(ガバナンス、企業統治)と同様に、広く一般の企業にも当て嵌まる指摘が出てきます。 

 E(アントレプレナーシップ、起業家的活動)を実行する要素としてCEOの在任期間が長いことや長期的な投資活動が指摘されていますが、その一方で、経営者のエントレンチメントの問題があります。特にG(ガバナンス、企業統治)が十分に機能していない場合は、失敗したE(アントレプレナーシップ、起業家的活動)について、その失敗を糊塗する方策(業績や事業に関する情報の隠蔽、次々に他社を買収するなどして結果は顧みない、最も悪質なのは粉飾決算など)を実行することで、経営者(CEO)の地位に居座ろうとしがちです。こうした事例は、実はファミリー企業だけでなく、広く一般の企業にも実によく見られるものです。 

ファミリー企業にとっては、G(ガバナンス、企業統治)とともに、このS(スチュワードシップ、受託責任)がうまく機能していることが求められます。言い換えれば、自らの地位(CEOの地位)に固執しないとか、報酬や役職に就けるといった面で身内を贔屓しないといったことを遵守するだけでも、相当程度、S(スチュワードシップ、受託責任)を果たすことにつながるわけです。ただ、それが例外なく実行できるかどうかが厳しく問われます。 

一般の企業にとっても本質的には同じことで、経営者はその在任期間中のことだけに責任を持てばいいというだけでは不十分で、経営した企業を次の経営者に引き継いで更に発展させてもらえるようにしておくことにも責任があるはずです。遠い将来の業績には直接的な責任はないかもしれませんが、少なくとも次の経営者や経営幹部の育成に果たすべき責任があります。これもS(スチュワードシップ、受託責任)のひとつの要素と考えるべきでしょう。 

それでは、そのスチュワードシップを担保するためにファミリー企業がとっている方策はどのようなものがあるのでしょうか。本書では、その一例としてオーストラリアのオライリー・ファミリーを紹介しています。このファミリーは100年ほど前から国立公園内で宿泊施設を運営し、エコツーリズムで高い評価を得ています。 

 

価値観の中心となっているのは、勤勉さと倫理の尊重で、オライリー・ファミリーは、それによって伝説的なホスピタリティの評価を得たのでした。ファミリーのミッションは、この受け継がれてきた価値観を維持することで、そのための手段が、短期の金銭的リターンを抑えて、この先の世代のために長期志向を維持することでした。(同書177ページより) 

これらの価値観は、引き継がれてきた重要な価値観を反映し、取締役会の審議で手引きとなるものでした。第二世代の共同リーダーであるピーター・オライリーは、よく創業者たちの貢献についてファミリーに話し、特に、彼らの勤勉さや情熱、コミットメントへの注目を促しています。(同書179ページより) 

取締役会は年に八回から一〇回開催され、ファミリー以外の社外取締役が会長を務め。他にも二人、ファミリー以外の取締役が、ここ何年も参加しています。(中略)いまではこのファミリー会議には年に一度のファミリー総会も加えられ、そこでは会長とCEOが「オーナー」であるファミリーに説明を行います。これらの会議は通常二日間にわたって開かれ、ファミリーのすべてのメンバーと、その配偶者やパートナーも参加します。(同書179ページより)

  

 このように、創業世代を直接知るファミリーのメンバーが次の世代に語ることで、受け継がれるべき価値観を繋いでいくのはもとより、公式組織である取締役会での議論や意思決定にも受け継がれるべき価値観を注入しているように思われます。また、ファミリーのメンバーたちも、取締役会と直接のコミュニケーションの場をもち、受け継がれるべき価値観が現在の経営陣や次の世代のファミリーにも理解され浸透していくようになっています。 

こうした装置や仕掛けがファミリー企業で必要とされるのは当然ですが、事業の方向や組織運営の意味付けといった観点でいえば、一般の企業にこそ、よりきめ細かく強力なものが活用されることが望まれるではないでしょうか。

  

以上、AGESフレームワークについて概略をご紹介しました。このフレームワークはファミリー企業の分析・考察に有用なツールであると同時に、企業一般を広く観察する上でも役に立つものです。

 

【注2

ここでは取締役会及び取締役のことを述べていますが、監査役会および監査役などガバナンスに関与する組織や役職を広く含んでいると考えてよいでしょう。

 

【注3

本書では、アントレプレナーシップ(起業家的活動)のもととなる起業家志向について、その3要素について次のように述べています。 

「革新性」とは、企業が新しいアイデアや斬新なもの、実験やクリエイティブな手法に取り組んだり、それをサポートすることで、それによって新しい製品やサービス、技術的なプロセスが生じるようなものを言います。「進取の気性」とは、業界のライバル企業と積極的に競争しようとする傾向を指します。「リスク志向」は、企業の経営陣が投資の意思決定や不確実性のある戦略の選択で、リスクをとろうする傾向を言います。(本書9293ページより)

  

【注4 

ここでは、醸造業の例としてはキッコーマンとミツカン、和菓子製造販売業では船橋屋、旅館業では加賀屋と陣屋を挙げておきます。詳しくは、各社のHPなどをご覧ください。

  

【注5

エントレンチメントとは、もともとは「塹壕の中に身を隠す」という意味ですが、ここでは経営者がその地位に長く居座ることを指しています。ファミリー企業では、一般に経営者の在任期間が長い傾向にあり、エントレンチメントが問題となるケースが往々にして生じるようです。

ちなみに日本の企業社会においては、ファミリー企業でも問題となることは多いでしょうが、そうでない企業においてもエントレンチメントは問題となります。何らかの事情により、24年とか36年といった社長の在任期間の不文律を破って長期政権化した経営者のなかには、その地位にしがみついたり、会長や相談役といったポジションに就くことでエントレンチメントに陥っている上場会社も珍しくはありません。

 

 

(4)4Lフレームワーク

 

本書によれば、ファミリービジネス独自のリーダーシップの特徴として、リーダーが候補者の段階を含めて絶えず学び続けるプロセスにあることが示されています。それを説明するのに四つのL(ラーニング、学ぶこと)というリーダーの成長過程の4段階を示しています。

 

L1:ビジネスを学ぶ

L2:自社のビジネスを学ぶ

L3:自社のビジネスを率いることを学ぶ

L4:手放すことを学ぶ

  

さて、最初の「L1:ビジネスを学ぶ」段階では、次のような基本的なビジネススキルを学ぶ必要がある、と本書では指摘しています。 

 

・自己管理のスキル

・人間関係のスキル

・実践的な知識

・継続的な学び

・創造力

 

これらは、ビジネスリーダーともなれば、一般的に求められるものではありますが、ファミリー企業のリーダーには特に重要なものがあります。 

 

事業を運営するにあたって、すべてのリーダーは基本的なスキルを学ぶ必要があります。(中略)ファミリー企業のリーダーには、単に自社が企業のライフサイクルのどの段階にいるかを認識するといったことだけでなく、それ以上の知識が必要となります。認識しておくべきなのは、ファミリー企業の運営には独特な知識が必要だということ、そして、それらの知識を学ぶプロセス自体が非ファミリー企業とは異なるということです。(本書142143ページより)

  

たとえば、「ファミリー企業の運営には独特な知識が必要だということ」とは、同じ人間関係とはいっても、他人だらけの一般の企業社会と血縁関係者(なかには同じ家に住まう人すらいる)が少なからず存在するファミリー企業では、異なる人間関係のスキルが求められます。ときには公私を峻別して、血縁者なのに他人以上に離れた関係を保つことが求められるかもしれません。 

歌舞伎や落語など伝統芸能の世界では、父と子の関係が同時に師匠と弟子の関係であることが珍しくはありませんが、そういう情況では往々にして、稽古にはいれば父親は師匠の顔を全面に打ち出して、自分の子供に最も厳しく指導するように語られます。それと同様のことがビジネスの世界でもあることかもしれませんが、本書ではそこまでの言及は見られません。 

ファミリー企業で次のリーダーとなるには、ビジネスを学ぶプロセスや場の違いもあります。一般の企業であれば、入社した企業やMBAなどのコースで学ぶことになりますが、ファミリー企業では社外で学ぶか社内で学ぶかという選択に直面します。 

本書では、とにかく外に出ることを推奨しています。その理由として、将来のリーダー候補であるファミリーメンバーがファミリー企業内部では得られない幅広く深い視点を身につけることが可能であること、社外での成功(実績)が社内での昇進を認めさせる証拠となりうること、ファミリー企業の内部に不確実性(社外に出たリーダー候補がファミリー企業に戻ってくるかどうか)を受け入れることで、組織の成長が図られる契機ともなりうること、などが挙げられています。 

 

次に、「L2:自社のビジネスを学ぶ」について説明しています。 

自社のビジネスを理解するといっても、ビジネスモデルや業界構造などを理解すればまずは大丈夫と思える一般の企業に対して、ファミリー企業ではそれらに加えて、そのビジネスの価値観や信念(経営哲学)について学ぶ必要があります。創業者や自分よりも前の世代の経営者たちが、何をどう考えて経営にあたってきたのか、そのことを深く学ぶ必要があると繰り返し指摘しています。そんためには、創業者や自分よりも前の世代の経営者たちから直接、話を聞くこととか、これまでの歴史をストーリーとして学ぶことが重視されています。 

 ともすれば、次の世代のリーダー候補には、前の世代の経営者の話はうざったいものになりがちですが、本書では事業運営にあたっての価値観を学ぶには、繰り返し語られる事業のストーリーやリーダーたちが繰り返し語っていたことのなかから、他社とは異なっているとは言っても変えてはいけないことを学ぶことの重要性を指摘しています。 

 創業者や前の世代の経営者たちがもっていた価値観や信念(経営哲学)をしっかりと学ぶと同時に、財務やマーケティングの実績や計画、その特徴なども学ぶ必要があるのは当然です。業種業界によっては、研究開発や技術、生産、ロジスティクス、営業、人事など、特に鍵となるビジネスプロセスについても、自社の特徴を学ぶことも忘れてなりません。 

 

L3:自社のビジネスを率いることを学ぶ

 

いよいよ実際にリーダーシップを発揮するのがL3の段階です。ファミリー企業のリーダーは、企業組織・ファミリー・オーナーシップという3種類のグループ(スリー・サークル・フレームワーク)において、それぞれのリーダーシップが求められるわけです。ファミリー企業のCEOとして、ファミリー全体の代表者として、企業を所有する株主の代表者として、これらの3種類のリーダーもしくはそのなかの一部の役割のリーダーとして、ファミリービジネスにリーダーシップを発揮することになります。

 

ファミリー企業を率いるための、たしかな道筋はありません。(中略)リーダーシップとは、単純に何か一つのアプローチを選ぶのではなく、一見正反対のアプローチの間で慎重にバランスをとるということなのです。(本書150ページより)

  

なお、ファミリービジネスにおけるリーダーシップのありかたやその内容については、(5)SAGEフレームワークで詳述します。

  

L4:手放すことを学ぶ

 

ファミリー企業のリーダーシップにとって、最も特徴的な段階がこのL4でしょう。リーダーシップを発揮して相当の成功を収めているからこそ、そのリーダーシップを次の世代に引き継ぐことで、自らはリーダーシップを手放すことになります。

  

ファミリー企業が直面する三つの重要な問題として、「一に後継者、二に後継者、三に後継者」とも言われるほどです。(中略)リーダーは、「主導権を手放すことにおいて主導権をとる」ために、「手放すこと」を学ぶ必要があります。(本書152ページより) 

(後継者問題が)独特で難しいのは、「あまり頻繁に行うものではないので、上達しない」からです。 

一般企業のトップの任期は、一般的にはだいたい三年から五年くらいですが、ファミリー企業では二〇年くらいか、それ以上です。また後継者問題が難しいのは、多くの人が後継者育成計画とは何かを理解していないからです。(本書158ページより)

  

ファミリービジネスにおけるリーダーシップの継承について、本書では次の4類型を紹介しています。

 

  帝王型は、早期に引退する意向はまったくありません。それどころか「王冠をかぶったまま死ぬ」ことを好みます。 

  将軍型はしぶしぶ退任しますが、いずれその地位に戻ってくることを企んでいます。(中略)将軍は次世代の失敗を理由として戻ってくることを目論んでおり、次世代のリーダーシップが不十分であるほどその計画がうまく運びます。 

  大使型は、自分の職務の大半を次世代のリーダーに委譲し、一方で「外交的」な、つまり会社を代表するような役割は保持します。 

  ガバナー型の場合は、その退任日があらかじめ決められて公表されており、それにしたがって退任します。任期が決められているので、その任期を通じて計画が進められます。 

(本書154155ページより抜粋)

 

本書の趣旨からいえば、リーダーシップの継承については、⓸ガバナー型が求められるものでしょう。しかし、現実にはリーダーシップを発揮してきた当人が成功すればするほど、①や⓶の傾向を強めるのではないかと、大いに危惧されます。 

現実には、不慮の事故や病気、想定外の業績悪化や経営危機、自分自身または他のファミリーメンバーの身に発生したスキャンダルやトラブルなどで、次の世代へのリーダーシップの引き継ぎが突発的に行われ、その後に混乱を来す例は、筆者自身の体験や見聞に限ってみても、枚挙の暇もありません。 

ちなみに、非ファミリー企業においても、リーダーシップの継承は大きな問題です。トップマネジメントやシニアマネジメント層における後継者計画(サクセッション・プランニング)の重要性は、いかなる組織においても経営課題にほかなりません。 

そのことは頭では理解していても、なかなか現実に課題解決に向けて具体的な取り組みに着手すらできないのが一般的です。つまり、L4の段階で「手放すことを学ぶ」べきリーダーというのは、ほぼすべてのリーダーに当てはまるのです。言い換えれば、リーダーの最後の仕事として求められる成果は、後継者を育成し、自らはリーダーシップを手放すことなのです。 

 

こうしてみると、ファミリー企業のリーダーは、すべてのLの段階で学び実践することが求められる点が、一般のビジネスリーダーと異なる最大のポイントであることに気づきます。 

ファミリー企業のリーダーという役割を引き受けていないビジネスリーダーであれば、自分のスキルセット・マインドセット・経験などから、ある特定の得意な段階だけを引き受けてリーダーシップを発揮することも許されます。たとえば、ビジネスの立ち上げが得意で実績もある人であれば、スタートアップばかりを次々と成功させることも可能ですし、現にそうした人材も数多く存在します。また、事業環境の変化についていけず、リストラクチャリングに迫られている企業では、リストラを得意とする経営者やターンアラウンドの専門家を招聘して、事業を立て直すこともよく見られますが、こうした経営人材も、特定の段階にフォーカスしたリーダーシップの例と言えます。 

こうした場合、次の段階でリーダーシップを発揮する後継者は別のタイプの人材を充てることになります。それを社内から発掘して登用するにしても、社外に広く人材を求めるにしても、次のリーダーシップを見つけるのはCEOの仕事というよりも、取締役会の最も重要な仕事のひとつと言えます。 

しかし、ファミリー企業のリーダーというのは、ひとりですべての段階を引き受ける上に、次の世代のリーダーも計画的に育成していくことが求められます。 

 日本の実情では、個々のファミリー企業で、本書で言うようなリーダーシップの計画的な育成が行われていることは滅多にないでしょう。せいぜいが、ファミリー企業を引き継いだ次世代のリーダーシップを担うべき(すでに担っている)人材を対象とする事業承継セミナーを受講するとか、将来引き継ぐことを前提に社外(取引先などの他社など)に数年間、武者修行?に出るといったものが多いでしょう。なかには海外留学でMBAを取得させてから、自社に就職させるなど、ある程度の計画性をもって後継者を育成しているケースもありますが、実際にリーダーシップを引き継ぐとなると大きく混乱してしまうのもまた、実によく見られる光景です。 

事業承継セミナーといっても、単なる相続税対策だったり、M&Aの斡旋にすぎないものは問題外ですが、次世代のリーダーシップを担うべき人材を集めても、互いに傷の舐め合いか愚痴をこぼし合うくらいのものでは到底、研修とは呼べません。少なくともアクション・ラーニングの方法を活用して、自社のビジネスモデルや価値観を客観的に(または自らの手で)分析したり、何が強みで何が事業環境の変化に適応していないのか、その原因はどこにあるのか立場が同じもの同士で評価し合うなどして、その結果を先代のリーダーシップに直接ぶつけてみるといったリアルなトレーニングを行わないと、本書でいうリーダーシップを学ぶ第一歩に位置付けることもままならないでしょう。 

 

  

(5)SAGEフレームワーク

 

本書はファミリービジネス独自のリーダーシップの役割として、SAGEフレームワークを提示しています。ファミリービジネスの組織の特徴を分析・理解するツールとして(3)でAGESというフレームワークを紹介しましたが、その個人版がこのSAGEフレームワークです。 

これは、S(スチュワード、受託責任者)を中心に、A(設計者、アーキテクト)、G(ガバナー、統治者)、E(アントレプレナー、起業家)の役割を果たすところに、ファミリービジネスにおけるリーダーの役割があることを示しています。

  

最初の中心的な役割であるS(スチュワード、受託責任者)というのは、まさにファミリーが受け継いできた事業を引き受けて、次の世代に引き渡していく役割です。経営者にこうした役割を求めるのは、企業の永続性を前提にビジネスを考える日本のビジネス風土においては、ファミリー企業に限らず、広く一般の企業にとっても当たり前の役割ではないかと思われるかもしれません。 

しかし、企業の寿命が30年と言われて久しく、経営者の処遇体系もより短期の業績を重視する傾向が強まっている現在、S(スチュワード、受託責任者)という役割の意味合いを再考・再評価する必要はあります。 

本書では、S(スチュワード、受託責任者)を内発的モチベーション・事業との一体感・個人としての力の3側面から考察しています。 

 

モチベーションに関して重要なのは、スチュワードは内発的に動機づけられる(モチベーションを得る)のであって、外発的ではないとうことです。一般的な言葉で言うと、スチュワードは、「手に入れるもの」によってモチベーションを得るのではなく、何かを行うことによって「感じるもの」からモチベーションを得るのです。(本書165166ページより) 

最も優れたスチュワードは自分自身の延長として事業を捉えるということです。(中略)「ファミリー企業での役割に心から真剣に取り組んでいる人たちは、それを仕事とは考えないし、キャリアとも考えない。どちらかと言うと、使命に近いものと考えている」。(中略)デメリットは、「いつでも勤務中である」ということ、つまり自分自身を事業からなかなか切り離せないということです。(本書168ページより) 

スチュワードはステークホルダーから認められるために、「地位から生じる力」に頼りません。スチュワードは「個人としての力」を使って、ものごとを成し遂げようとします。わたしの肩書がオーナーであろうと、CEOであろうと、それはほとんど関係がない。スチュワードとしてわたしが理解しているのは、何かを成し遂げるには「尊敬」が必要だということです。わたしにとって最大の恐怖は、次の世代が「既得権」のような感覚を持ってしまうことです。(本書169ページより) 

 

 使命感に近いものがS(スチュワード、受託責任者)の基盤であるとして、その使命感を適切に活かすことがリーダーには求められます。使命感があるからと言って、従業員はおろか、事業に携わっている他のファミリーメンバーや先代とともに仕事をしてきた役員などの意見にも一切、耳を貸さず、すべてを自分で仕切ろうとするタイプの次世代経営者もいます。 

 そういうタイプに限って、案外、筋の良くない社外関係者、ときにはアンダーグラウンドな人脈などに頼ってしまい、下手をすると会社のオーナーシップを喪失する事態に追い込まれるといった事例が、上場企業レベルでも散見されます。 

 使命感の暴走も困りものですが、本書で指摘している「既得権」に拘るのも、事業を継続させてファミリーを存続させる上では困りものです。というのは、既得権という感覚からは、リーダーとして成長する余地があるとは望めないからです。なにしろ、既に(生まれながらの)リーダーであると自任しているわけですから、そういう人にとって、リーダーシップの何を学ぶ必要があると言うのでしょうか。 

実際は、どんな優れた人でも、事業運営をまったくやったことがない状態ではリーダーとしてのスキルもマインドも身についていません。まして、次の社長になるのが「既得権」だと思い込んでいる人は、リーダーという役割を受け入れる心身の準備(レディネス)がありません。リーダーになって当然だという思い込みがあるだけです。 

そうした思い込みだけでリーダーとして機能するほど企業組織もファミリーという組織も甘くはないことくらい、誰でもわかりそうなものです。しかし、そうでない人々が世の中にはいかに多いことか、これまでも実感してきましたし、今も実感させられ続けています。 

筆者個人の経験を踏まえて改めてファミリービジネスにおけるリーダーシップを考えてみると、S(スチュワード、受託責任者)という役割を真っ当に果たす上での最低限の条件は、もしかすると、自分がやるしかない=止めるわけにはいかない=という覚悟(これを使命感といってもいいのかもしれません)と謙虚さ(自分にリーダーが本当に務まるのかと危惧し続けるからこそ、自ら学び考える姿勢)ではないかと思います。 

スチュワードというリーダーシップの側面は、「リーダーになりたい」とか「なって当然」という感覚ではなく、(本心は引き受けたくはないけれども)後継者としてのリーダーの役割を引き受けなければならない、引き受けたからには自分の代で潰すことなく、次の世代に引き継がなければならない、そういう責任感です。 

極論ですが、ここには職業選択の自由は相当程度に制限される状況があります。リーダーを引き受けない限り、ファミリービジネスに積極的に関与することはできないことが、暗黙の裡に条件として示されているようです。 

 

次に、A(設計者、アーキテクト)について、対立という概念を軸に考察しています。 

 

ファミリー企業では、対立は自分の利益を拡大するためのもの(つまり、自分本位なエージェントによるもの)と見られています。したがって、ファミリー企業の基本的な信条に反し、共通の価値観やビジョン、目的などを破壊する恐れがあると考えられています。 

ファミリー企業内の対立の多くが、優れたアーキテクトの不在に関係しています。(中略)次世代にうまく承継されている企業では、優れたアーキテクトの不在という問題はあまり見られません。ファミリー企業内で、対立の発生源としてアーキテクトが注意しておくべき点は、以下のものがあります。

 

・ファミリー企業内の役割やルールの曖昧さ 

・ファミリーとファミリー以外のメンバーの間で権力やステータスが異なること 

・事業の承継プロセスが性急であり、公正でないこと 

・ファミリー内のライバル心(特に、創業者の子どもたち) 

・一人の息子や娘だけをかわいがること 

・キャリアや報酬、雇用に関して、明確かつ一貫した方針が存在しないこと 

・行動規範が存在しないこと 

・職務記述書が存在せず、職務の範囲が明確でないこと 

(本書192193ページより)

  

 筆者個人の経験でいえば、こうした対立は、従業員が見ている前で殴り合いの兄弟喧嘩を始めるほどのものです。特に、兄弟の年齢差が小さく、対立に裁定を下すべき先代のリーダーが不在ともなると、問題状況を解消することができないままです。 

往々にして、こうしたケースでは、ファミリー内部の問題も企業組織における問題も、結局は先代のリーダーがすべて自分一人で意思決定してきたため、システム化やルール化がほとんどなされておらず、判断基準とすべき価値観もビジョンも明文化するなどの共有化される仕組みもないのです。 

したがって、当事者(次世代のリーダーであるべき兄弟たち)や関係者(従業員、特に執行役員や上級管理職、および社外取締役・監査役、長年顧問となっている専門家など)も問題を解決する方法や手続きがわからず、最後は第三者に会社のオーナーシップを売却するとか、会社を法的にも分割するといったことになるか、事業が不調となり会社そのものが消滅するといった事態に陥りがちです。 

こうした事態に至った原因は、突き詰めれば、先代のリーダーがアーキテクトとして機能せず、ファミリーも企業も運営するためのシステムやルールを適切に設計してこなかったからに他なりません。こうした点からもアーキテクトという役割を意識的に果たすことの重要性は、十分に理解されるでしょう。 

改めて述べるまでもありませんが、A(設計者、アーキテクト)としての役割を果たすべき対象は事業組織(企業)や株主の組織(取締役会)に限りません。同時に、ファミリーという組織についても何らかの公式化したシステムやルールを確立することでファミリーの継続を実現するのも、リーダーのもつアーキテクトの役割として強く求められます。そのためには、ファミリーという組織を管理する仕組みが必要とされることもあります。

  

ファミリー・オフィスは、ファミリーの永続を目的とした独立の組織で、一族の資産の管理や運用、次世代の教育など、幅広い業務を行います。(本書206ページより)

 

 こうしたファミリー・オフィスは、日本ではまだまだ導入されている例は限られているようです。なかには、資産管理会社を国内外に設立したり、プライベート・バンキングのサービスとして類似の機関を設立したりすることもあるようですが、単に相続税などの節税目的で運営されているのでは、ファミリービジネスを承継する仕組みとしては不十分です。 

真にファミリービジネスを次の世代に受け継いでほしいのであれば、財務的な管理とともに人材面の管理(次世代教育など)や非財務資産(受け継がれていくべき価値観やビジョンの明確化や受け継ぐ方法の開発など)の管理のために、A(設計者、アーキテクト)としてのリーダーシップを発揮すべきでしょう。

 

A(設計者、アーキテクト)としての役割は、設計したシステムやルールをG(ガバナー、統治者)として運営することに続きます。

  

ガバナンスを定めるためには、統治する組織が、ファミリーであるか、ファミリー・オフィスであるか、あるいは事業であるかにかかわらず、その組織のニーズと特徴を認識する必要があります。(中略) 

優れたファミリー・ガバナーとなるには、ファミリーレベルでのリーダーシップが必要です。(中略) 

この役割を果たすにあたって、リーダーのマインドセットは、オーナーであるファミリーをより積極的で行動的なグループにすることにフォーカスします。事業のリーダーやガバナーとは異なり、彼らは指名されるのではなく、ビジョンやエネルギー、インスピレーションを示すことによって、リーダーとして浮上してきます。(中略) 

このような統合的なガバナンスのプロセスを推進するファミリー・ガバナーが持つべきスキルセットとしては、強力な人間関係の能力が挙げられます。具体的には、人の話をよく聞くこと、効果的なコミュニケーションをとること、ファミリー・グループ内の視点を統合することなどです。(本書208210ページより)

  

 こうしてファミリーグループにおけるガバナーとしてファミリー・メンバーが過去を尊重し、事業と資産を未来の世代のためによりよく活用するようなマインドを保つために、次に例示される事項に取り組むことが期待されます。 

 

・ファミリーのレガシー(残すべき資産)の創造に取り組むコミュニティの創造

・ファミリー内部および関連する組織における、議論や考察に基づく教育の奨励

・ファミリーの歴史や美徳、責任あるオーナーの義務、メンバーが果たすべき役割、ファミリー内部の暗黙のルールなどについて、メンバーが意見やアイデアを表明できる場の提供

・ファミリーの一体感やつながりを醸成するような社交やイベントの企画

 

 ガバナーとしてファミリーを対象とするとともに、ファミリー企業のリーダーは事業についてもガバナー(取締役)であることが求められます。 

  

 事業のガバナンスについて、あるいはガバナー(取締役)になることについて、わたしが最初に学んだ重要なポイントは、まず規律を持たなければならないということでした。規律とはつまり、自分の責任は事業に対するものであって、自分をガバナーの地位に就けた支援者に対するものではないと理解することです。ガバナーのマインドセットは全員を代表するものでなければならず、限られた数人だけを代表してはいけないのです。(本書212ページより)

  

 事業のガバナーであることとは、すなわち取締役であることです。取締役として株主から委任された会社の経営全体を監督するのが仕事であって、ファミリーメンバーの利益代表ではないのです。つまり、ファミリーという組織のガバナーとしてファミリーの資産を管理する責任を負うと同時に、一方で所有する会社全体の資産を管理する責任も負います。その際に、長期的な視点をもってファミリーの資産と会社の資産(利益を含む)を成長させることで、二つの立場を統合することが求められます。 

ファミリー企業のリーダーは、取締役会会長ではあっても、必ずしも事業運営の責任者(通常はCEOとか代表執行役社長などと呼ばれる地位に就いている人)であるわけではありません。そのため、今期の利益にばかり関心が向かいがちな事業執行者とは一線を画して物事を判断することで、事業のガバナーとしての役割を果たすことが可能となります。 

 

 このような長期的な視点をもつことで、ファミリー企業のリーダーはE(アントレプレナー、起業家)であることも求められます。 

ときに事業執行者が陥りがちな視野ですが、現在の利益だけでよければリスクのある投資を避けるのも自然なことです。しかし、ファミリー企業のリーダーには、過去や現在の資産を管理するとともに、未来の資産を管理する責任もあります。つまり、未来に向けて資産を成長させていくには現在の投資が不可欠である以上、E(アントレプレナー、起業家)としてリーダーシップを発揮することが必須となります。 

また、次世代にファミリーや事業を引き継いでいくには、何らかの形で事業環境の変化に適応して自社やファミリーを変革していくことが必要となります。時には、その前に、受け継いだ事業やファミリーを現代にあった形に作り直すことに迫られ、変革を主導しなければならないこともあるでしょう。この点からも、E(アントレプレナー、起業家)であることが求められるのです。 

 

 シュンペーターの言うイノベーターは、既存の市場の均衡を破壊して新たなチャンスにつながる変化を起こすのです。(中略) 

もう一方のロナルド・コースの議論は、シュンペーターの説とは異なるものの、それを補完する説明となっています。(中略)コースの言う調整者的なイノベーターは、効率を実現する人です。外部の市場圧力を受けて組織を調整し、最適な生産方法を選択する役割を果たします。 

この二人の議論は互いに補完し合うものです。つまり、「どちらか」ではなく、「どちらも」なのです。この解釈は、ファミリー企業のリーダーとしてのわたしの役割にも当てはまります。わたしはいまの状況を壊す必要がありますが、もう一方で、状況を落ち着かせて、効率と調整を実現する必要もあるのです。(本書246247ページより)

  

 このようにファミリー企業における起業家の役割を説くのは、ファミリービジネスという既存のビジネスが存在するところが出発点である故でしょう。もし、著者が引き継ぐべきファミリービジネスをもたない立場であったならば、シュンペーターをより強く意識したのではないでしょうか。起業家とはゼロからイチを生み出すもので、そのためには既存の枠組みを一度、ご破算にするという破壊重視のイノベーションを重要視したのかもしれません。 

 E(アントレプレナー、起業家)としてのリーダーに求められえるスキルセットについても、シュンペーターとコースの対比を踏まえて、技術主導型の能力、つまり技術開発の能力とオペレーションの実務能力、および、事業主導型の能力、すなわちマネジメントの能力と商売の能力、という大きく2種類の能力を指摘しています。

  

 破壊者(技術主導型)の役割能力においては、技術の能力が必要となり、それが製品やサービスにおいて、新たな技術のパターンやインスピレーション、ブレークスルーなどを実現します。加えて、オペレーションの能力も発揮する必要があります。(中略) 

 一方の統合者(事業主導型)の役割には、マネジメントの能力が関係します。技術が変化する状況で、行動を起こし適切に対応する必要があるのです。(中略)不確実性から生じるコスト削減の要請に応えたり、経営構造の継続的な調整や、経営資源の調整を行ったりします。この能力によって、継続性とイノベーションを組み合わせることができるのです。 

 しかし、このマネジメントの能力に加えて、リーダーには商売の能力も必要になります。この点は、多くの人が自分のスキルをチェックする際に見逃しがちです。起業家なら、誰でも「売る」必要があります。 

 

 ここでの指摘は、ファミリービジネスにおけるリーダーシップのなかでE(アントレプレナー、起業家)の役割を説明しているものですが、その内容は起業家一般にそのまま当てはまるものでもあります。 

 起業家と一口に言っても、破壊ばかりしていたのではビジネスとして収益を大きく上げることができません。技術的なブレイクスルーができたならば、それを製品やサービスの形で表現して、実際の売上を作っていかなければなりません。製品やサービスを作るには、ここでいう「マネジメントの能力」が必須ですし、売上を作るにはビジネスモデルを生み出すだけでなく「商売の能力」が不可欠です。 

 ただし、アントレプレナーの役割が必要な状況になっていきなり、ここで求められるスキルセットを一人ですべて身につけるというのは現実的ではないでしょう。アントレプレナーの役割も、他の役割と同様に、ファミリー企業のリーダーとなろうと意識し始めた頃から、少しずつ意図的に身につけることが肝要です。 

 実際には、事業環境の変化に対応するのに迫られて破壊(リストラ)とイノベーション(新しいビジネスモデルの試行錯誤)を実行するプロセスで、結果としてアントレプレナーの役割を果たすことができるようになるケースが多いように思われます。特に、中小のサービス業(旅館業、廃棄物処理業など)や製造業(いわゆる町工場)、卸売業・小売業・外食産業(個店からチェーンに脱皮するものなど)などで、2代目や3代目が大きく事業構造を転換できたケースでは、意図しなくても、本書で提示されているアントレプレナーの能力が発揮されているように思われます。 

 

 

(6)学び続けること

 

これまで述べてきたマインドセットやスキルセットをすべて身につけるなどということは、本当に可能なのでしょうか。本書で述べられていることは、ほんの一握りのファミリービジネスの天才にしかできないのではないでしょうか。たぶん、このように感じられた方も少なくないと思われます。 

筆者自身は、公務員だった父親と専業主婦だった母親から引き継ぐべきファミリービジネスはありませんでした。そのためか、本書で指摘されているようなマインドセットやスキルセットをもつことを要請される情況に陥ったこともなく、ほっとするのが本音でもあります。 

ファミリービジネスに携わっている人々の圧倒的に多くが、最初から本書で求められるようなマインドセットやスキルセットを身につけているわけではないでしょう。そもそも身につけなければならないと思ってもいないほうが、多いかもしれません。 

身につける必要性は理解できるとしても、それらは時間をかけて身につけていくものであって、元からそうである天才を求めているわけではありません。だからこそ、平凡な能力の人であっても、「学び続ける」ことでファミリービジネスのリーダーとして役割を果たすことができるようになっていく、少なくともそうなるように、ビジネススクール及びメンタリングやコーチングそして自らの経験や関係者との対話を通じて学び続けることが望まれます。 

ただし、学び続けるということも、もしかすると、ひとつの才能と呼ぶべきものかもしれません。スポーツや芸術の世界でよく言われるように、天才は最初から天才であったわけではなくて、人一倍、努力し続けることが長年に亘ってできた人が天才になるのだとすると、ファミリービジネスのリーダーは学び続ける天才なのかもしれません。 

そういった意味でのリーダーについて、本書では「知的」な人と表現していますが、その条件として次の7点を挙げています。 

 

・自信を誇張しすぎない 

・自分の知識のなかで欠けている部分は何かをよく認識し、その部分を補おうと努力する 

・できる限り多くの視点から問題を見る 

・自分の考えが正しくないという証拠が示されたら進んで考えを変える 

・人間は誤解しやすいということを理解する 

・誤解しないよう対策を立てる 

・尊敬する人に「誤解しているのではないか」と指摘されたら立ち止まって考え直す 

(本書262ページより)

 

ファミリービジネスのリーダーに限りませんが、こうした条件を満たすであろう人というのは、世の中全体を見渡しても、そうそう存在するものではないでしょう。 

 多分、ファミリービジネスのリーダーシップで最も核となるスチュワードシップを発揮するには、このような意味で「知的」な人であることが必須なのです。そして、学び続けるということは、「自分の知識のなかで欠けている部分は何かをよく認識し、その部分を補おうと努力」し、「できる限り多くの視点から問題を見る」ことを厭わず、「自分の考えが正しくないという証拠が示されたら進んで考えを変える」柔軟性をもつことにほかなりません。 

 こうしたリーダー像は、ファミリービジネスに限らず、広くビジネス全体のリーダーに求められます。年齢が高くなり、経験や実績が学びの邪魔をするようになるにつれて、「知的」であることの困難さがより強固になりがちです。改めて心に留めておきたいものです。 

 

 さて、本書の最後には、もう一度、スリー・サークル・フレームワークが登場します。ファミリービジネスを経営するということは、ファミリー・経営執行者・オーナー(所有者・株主)という3種類の役割をバランスよく果たしていくことであって、いずれか一つの役割でも十分に果たすことができなかったり、疎かに扱うことがあったりすると、マネジメントがうまく機能しなくなります。 

たとえば、ファミリーばかりを重視しすぎて、経営執行者やオーナーとしての役割が不十分で、ファミリーメンバーだけを要職につけて同時に役員報酬や配当を手厚く配分するのであれば、中長期的に人材確保や事業への投資などの面でビジネスが立ちいかなくなる虞があります。といって、経営執行者やオーナーとしての役割にばかり力点を置いて活動し、ファミリーのことは放りだすようであれば、ファミリーメンバー(特にオーナーとして有力な人々)からクーデターを起こされる危険性があります。いわゆるお家騒動です。 

いずれにしても、スリー・サークルの間のバランスが一度大きく崩れてしまうと、ビジネスを受け継ぎ、次の世代に引き渡すことは困難になります。筆者もそうした情況に社外専門家の一人として巻き込まれたことが、たびたびありました。 

「人間は誤解しやすいということを理解」していないがために、ファミリーメンバー相互のもめごとが実によく起こります。そうなることが分かっていながら、ファミリー(実の子供とか兄弟といった関係)だから何もしなくてもわかっているのが当然と思い込んで、「誤解しないよう対策を立てる」ことは、まずありません。 

まして、「尊敬する人に『誤解しているのではないか』と指摘されたら立ち止まって考え直す」というような人は関係者の中にいないどころか、本当に尊敬している人など誰もいないような人にファミリービジネスを引き継ぐ(引き継がせた)ことが、そもそもの問題の始まりというケースが少なくないというのが実感です。はっきり言って、何でこんな人物を後継者にしたのか、長男(または一番かわいがっていた子供または甥や孫)だからという以外に理由が見当たらない場合が多いのです。 

少なくとも、いまあるファミリービジネスを親族の誰かに継がせたいのであれば、今日から学ぶことを実践するするガイドブックとして本書を活用されるべきでしょう。

 

 

(7)ケーススタディの紹介

 

ビジネススクールで教えているファミリービジネス経営論」を紹介してきましたが、最後にある物語をベースに作成してみた、以下のケースストーリーをお読みください。この会社の創業者である父親の立場に立って、後継者を誰にすべきか、またその後継者にどのようにビジネスやファミリーを引き継いでいけばよいのか、その具体的な計画はいつどのように着手して進めていけばよいのか、考えてみてください。

 

あなたは、ジェンコ商会という主に食料品の輸入・販売の会社の経営者で実質的なオーナーでもあります。共同創業者でビジネスパートナーでもあり、良き相談役でもあったジェンコ氏は既に亡くなって久しいのですが、あなたは特に体の悪いところもなく元気です。 

あなたには実の息子が3人と娘が1人、息子同然に育ててきた養子(男)が1人います。あなたの妻も健在で、小さな孫たちや長男の嫁と暮らしています。 

長男のサニーは、取締役として既に父親といっしょに日常的に仕事をしています。既婚で二人の子供がいます。性格は、仕事も女性関係もガンガン積極的に行くタイプです。あなたがみるところ、サニーの妻は夫の浮気に気づいているようですが、見て見ないふりをしているようです。 

次男フレドは、おとなしい性格です。取締役のひとりとしてビジネスを手伝ってはいます。人間的に問題があるというわけではありませんが、あなたも他の兄弟たちも、ビジネスで頼りになる男とは思っていないというのが、本音でしょう。独身ですが、長男のサニーとは異なるタイプで女性関係にルーズなところがあるとあなたも気づいています。 

三男のマイケルは、あなたの意思に敢えて逆らって、アイビーリーグ在学中に志願兵として戦地に赴き、終戦後、海兵隊を除隊となり復員してきたばかりです。今後、どういうキャリアを目指しているのか不明ですが、あなたやファミリーの他のメンバー、会社の古参幹部などは、会社の仕事を手伝うよりは、将来は上院議員か州知事くらいの大物になってほしいと期待しています。学業優秀で性格面も申し分ない人物、とあなたも思っています。あなたに紹介した婚約者がいますが、女性関係はその婚約者だけのようです。 

長女のコニーは新婚です。先日行われた彼女の結婚披露パーティーは、あなたの親族だけでなく、ジェンコ商会の経営幹部、取引先などの会社関係者、同じ業界のライバル企業の経営者たちも出席するなど、実に盛大なものでした。コニーの夫となったカルロについては、名目上は会社の幹部でそれ相当の給与を支給して生活は保障していますが、実際は仕事には一切、関与させていません。これはあなたの決定ですが、他の取締役たちも異存はありません。 

息子同然で兄弟たちといっしょに育ったトムは、ロースクールに学び、弁護士の資格を取得しました。今はあなたの法律顧問(会社としてはCEOの顧問弁護士兼相談役)として、日常的にサニーとともに父親の仕事を手伝っています。慎重な性格ですが、難度の高い交渉であっても、任された仕事は間違いなくやり通す能力と意志を持っています。既婚です。 

ある日、ジェンコ商会が扱っていない商品を取り扱う新興の商社(S社)から業務提携の打診がありました。ジェンコ商会が押さえている地域や顧客層にも、S社の商品を流したいので、その商売をするうえでのサポートをしてほしい、もちろん、相応の対価をマージンとして支払うというものでした。 

この会談の場に、あなた・長男ソニー・次男フレド・顧問弁護士トム・非ファミリーの取締役たちが臨みました。その場で、あなたが会社を代表してS社のCEOと話している最中に、長男ソニーが個人的な意見を差しはさむ場面もあり、S社にこちらの足並みの乱れを見透かされてしまったのではないかと、あなたは大いに気がかりでした。 

結局、S社の主力商品やビジネスのやりかたに大きな疑問を持っていたあなたは、この申し入れを明確に断りました。しかし、他のライバル会社がサポートする恐れが大きいとみて、裏の事情に詳しいある幹部社員に状況を探らせるなど、必要と判断した措置をとりました。 

 この一件からも推察されるとおり、あなたや亡きジェンコ氏とともに事業の拡大に注力してきた古参の取締役や執行役員などは何人もいます。彼らもまだまだ健在で、今も会社を支えています。ビジネスは順調ではありますが、業界内のライバル会社も多く、油断はならないと、あなたはいつも思っています。そのためか、まだまだ現役で自分が仕切らなければ、という意識を強く自覚しています。 

 

 さて、この会社の創業者兼オーナーかつCEOであるあなた、そしてファミリーのリーダーであるあなたは、次の世代のリーダーを誰にするでしょうか。その指名は、いつ、どのようにしますか。また、そのリーダーを選ぶプロセスや育成するためのプログラムについて、何か特別なものを用意しますか。 

 

 

(8)ケーススタディの検討

 

 既にお気づきの方も多いと思いますが、前回紹介したケースストーリーは、映画「ゴッドファーザー」(注6)の登場人物のキャラクターやプロットを、一般の企業に置き換えて述べてみたものです。 

 ファミリービジネスというと、どうしても、ファミリーのビジネス、すなわち、映画「ゴッドファーザー」で描かれているマフィアというファミリーとそのビジネスを連想してしまいます。そして、そこで描かれているストーリーは、まさにファミリービジネスのありかた、特にその継承のありかたを物語っています。 

 

 さて、あなた、つまり、ジェンコ商会のCEOは、次のリーダーとして誰を意中の候補者とすればよいのでしょうか。 

 きっと多くの方が、長男ソニーと答えるでしょう。ソニー自身もそのつもりで、これまで生きてきたことでしょう。 

 本書「ビジネススクールで教えているファミリービジネス経営論」を読まれた方であれば、若い頃からずっとあなたの下でビジネスを学びつつ、実際の仕事もこなしているだけでよいのか、と疑問をもたれるのではないでしょうか。 

長男ソニーを一度でも外部に出すことで、事業や組織の運営について、またリーダーシップや意思決定について学ぶ機会を持たせるほうがいいのではないか、と考えることができます。同じことを教えられるにしても、父親であるあなたから叱責として言われるのと、他社で他人の経営者やマネージャーに指導されるのでは、受け止め方も大きく違います。 

よくあるのは、後継者(多くは長男)を自社においておき、通常の営業活動をやらせるなどして、一見、実績が挙がったから昇進させたという形をとることです。実際、そうした例がいかに多いことか、筆者が見聞きしてきた限りでも、実例にこと欠きません。 

自社内で実績を挙げさせるのであれば、会社のネームバリューやブランド力を活用して行う通常の営業ではなく、誰がやっても難しい経営課題に挑戦させるべきでしょう。そうでない限り、実績で昇進させたとは一般の社員やファミリー以外の役員は心の底から認めることは決してありません。こうした実例のある会社では、「うちはジュニア(長男ソニーの立場)の取り巻きでないと出世できない」などということが日常的に社員同士や取引先との雑談などで語られています。 

ちなみに、誰がやっても難しい経営課題というのは、たとえば、自社にとって未知の技術分野や未開拓市場において、新しい技術・製品・サービス・顧客などを開拓するとか、自社の業績が厳しい時にリストラの陣頭指揮を執って事業を立て直すといったことです。いきなり、インドやアフリカで支店を開設するとか実店舗だけで商売をしてきた会社がECに取り組んで3年以内にECの売上を現在の売上よりも多くするといった課題です。 

当然、すべてがうまくいくわけではありません。むしろ、手痛い失敗から、いかに立ち直って、何とかして結果を出すことができたというプロセスとその結果が、次の世代のリーダーとして自他ともに認められるのに必要不可欠です。 

このケースでいえば、いまさら他社に就職させて、改めて仕事を覚えさせたり、MBAを取得させたりするというのでは、時間がかかりすぎる虞があります。むしろ、あなたはS社との取引を長男ソニーに任せてみるべきだったのかもしれません。 

もちろん、それがうまくいく保証はありませんし、あなたが危惧するとおり、ジェンコ商会で扱うべき商材ではないかもしれません。そうであれば、S社と長男ソニーが共同で出資する会社を別に設立し、あなたの資金支援なしで、その共同経営者をやらせてみるといった方法も、検討するに値するものです。その結果、ソニー自身が「これはうちで扱うべき商品ではなかった」と頭を下げてくるのであれば、ビジネスの数値面では失敗ではあっても、ファミリービジネスのリーダーシップの承継という点では、決して無駄ではなかったと言えるでしょう。 

 

このケースにはもうひとつ、検討すべきテーマがあります。それは、次世代リーダーを支える次世代幹部の候補となる人材をどこに求めるのか、という点です。 

一般には、CEOの世代交代に伴って、次の世代のリーダーを支える幹部も世代交代していきます。ただ、これも言葉でいうように簡単なものではなく、経営幹部とその候補者と目される人々との間で、さまざまな軋轢や葛藤、ときには物理的な争いごとにも発展しかねないものです。この世代交代をスムーズに行うために、役員退職慰労金制度を新たに導入したり、ストックオプションや持ち株奨励制度などを運営したりする会社もあります。ときには、暖簾分けや独立支援制度が効果を発揮することもあります。 

そうした観点でケースについて考えてみましょう。 

顧問弁護士トムは長男ソニーが次のCEOとなってもそのまま同じ立場で能力を発揮するでしょう。次男フレドや三男マイケルは、ソニーの下で働くのであれば、兄をファミリーにおいてもビジネスにおいてもリーダーとして認めて協力していくであろうことが想像に難くありません。 

しかし、長女のコニーと結婚したカルロ(娘婿)はどうなるでしょうか。 

彼はファミリーに加わりはしましたが、ビジネスにおいてはその存在をまったく認められていません。言い換えれば、社員から出世した結果、創業者の娘と結婚できたわけではないのです。むしろ、あなたはカルロの能力や資質はビジネスには向いていない、もしくは役に立たないと思っています。 

とはいえ、かわいい一人娘の懇願に負けて、結婚を認めてしまったのもあなたの行ったことですし、娘とその婿にはビジネスの厳しさを味あわせたくないという感情も理解できないものではありません。生活は保障するが、仕事には一切タッチさせないという処遇は、第三者から見れば、相当な温情と言えます。 

一方、カルロ本人は、「自分だってやれる」「チャンスさえもらえれば必ず結果を出して見せる」といったプライドを持っているかもしれません。こうしたプライドや周囲の目を意識するあまり、コニーに当たり散らすようになることは、ある程度、予想できます。生活が保障されているだけの暮らしに満足する程度の男であれば、多分、コニーが結婚相手に選ぶこともなかったでしょう。 

ちなみに、娘婿をビジネス面においてファミリーのメンバーとして加えることで、後継者を育成したり、次世代の経営能力の強化につとめようとしたりするのは、日本では比較的よく見られることです。昔から続く商家であれば、番頭のなかから優れている者を長女の婿として次の当主に据えるくらいのことは、往々にしてあることでしょう。 

番頭という自社のプロパー社員のなかから選ばなくても、同様の方策はほかにもあります。娘の結婚した相手が自社とはまったく無関係な業界に勤めている場合、その相手を世代交代のある時期に自社の社員や役員として迎えるというのは、一理あることです。要するに、次世代のリーダーを支える人材をヘッドハンティングする際に、まったく未知の人材を採用するよりも、娘と結婚してきた期間が長いことで人となりがわかっている娘婿のほうが、自社への適合度や持っている能力が自社で欠けている部分を埋める可能性などの点で適切に評価できるのです。適合度が低いとか能力やスキルに問題があるのであれば、自社に入れなければいいだけです。 

 このケースでは、ファミリーを血縁者に限る志向を非常に強く持っているあなたの価値観ゆえか、娘婿のカルロは仕事を与えらません。このことが、将来、カルロがライバル社に情報を流すという裏切り行為を働くことにつながる可能性は否定できません。ファミリービジネスでは、ファミリーのメンバーであって、そのビジネスに興味がある、関わりたい、と思っている人を排除することの難しさがあります。その人がリーダーの目から見て、自社のビジネスに向かないとかリーダーやマネージャーとしての能力や資質に欠けるところがあるという場合は、その扱いに特に注意が必要です。 

 

 さて、このケースには続きがあります。 

そうこうするうち、あなたは不慮の事件に巻き込まれて、瀕死の重傷を負ってしまいました。意識不明の状況からは辛くも脱したものの、入院やリハビリが長く続き、事件のことも広く世間で知られることとなりました。 

あなたの個人的な力量に負っていたビジネスにも、主要取引先を中心に動揺が走ります。これをチャンスと見たライバルたちは営業攻勢に出てきており、ジェンコ商会のビジネスは厳しいものとなっています。 

事実上のCEOとして、長男ソニーはこうした情勢に対応して、思いつくままに次々と手を打っていますが、なかなか良い結果につながっていません。悪い時には悪いことが重なるもので、商品に対するクレームが発生しました。こうしたジェンコ商会の現状はライバルに筒抜けの状態で、役員クラスの幹部が引き抜かれたり、同業他社がこちらの先手を打って営業攻勢を仕掛けたりしています。 

不眠不休で対応に当たっていたソニーはとうとう過労のため、倒れてしまい、そのまま帰らぬ人となってしまいました。 

そこで、体調が完全に回復したわけではないあなたが、CEOに復帰しました。そして、すこしだけ仕事を手伝った後、改めて海外に留学中だった三男マイケルを急遽、呼び戻し、次のCEOに指名しました。 

あなたが、マイケルの立場であったら、次期CEOの指名を受け入れますか。受け入れるとして、どのように考えて行動したうえで受け入れますか。次期CEOとしてどのようなリーダーを目指しますか。そして、受け継いだ会社をどのように立て直しますか。 

 

【注6

映画「ゴッドファーザー」については、第1作から順に以下の予告編を見るだけでも、その概要を感じ取ることができるかもしれません。

 

 

(9)ケーススタディの検討(続き)

 

今回ご紹介した「ビジネススクールで教えているファミリービジネス経営論」にひとつ注文を付けるとすれば、それはファミリービジネスのリーダーに新たになりつつある人の視点です。 

本書は、既にファミリービジネスのリーダーとなっている人が、ビジネスにおいてもファミリーにおいてもオーナーシップにおいても、リーダーとして経営にあたっていくのに学習し考慮すべきことをいくつかのフレームワークに基づいて説明していますが、新たにリーダーとなるべき人、またその候補者と自任している人についても、同様に学習し考慮すべきことがあるはずです。 

ここで、新たにリーダーとなるべき人やその候補者を自任する人には、大きく分けて2種類あります。ひとつは、現リーダーの長男または第一子として生まれ、次のリーダーとなるべく育てられてきた、生まれながらのリーダーというタイプです。 

もうひとつは、リーダーの後継者と目される人が急遽、不在となったり、現リーダーに子供がいないなどの事情で後継者が不明なまま、次のリーダーを選ばざるを得ない情況に置かれた場合に、自分は候補者になる資格があると思っている人たちです。この場合、仮に正当な手続きを経てリーダーとして選ばれたとしても、それだけでは次のリーダーとして認められるには不十分です。選ばれなかった人々やその利害関係者を事後的に納得させるだけの実績や能力などを見せて示すことが満たすべき必須の条件で、そうした実績や能力を明示できるかどうかが、リーダーシップにおける喫緊の課題となります。

  

前回・前々回とご紹介したケースで新たにジェンコ商会のCEOに指名された三男マイケルの立場は、正に後者の情況に該当します。 

将来は公職を目指すつもりがあったとしても、ファミリーのビジネスにはほとんど経験がなかった三男マイケルは、長男ソニーの訃報を耳にした直後から、次期CEOの指名を受け入れる心の準備はするでしょう。なぜなら、創業オーナーの指示は絶対的なものであり、ここで受け入れないとすればマイケル個人のキャリアどころか、ジェンコ商会の倒産すらある程度は予想できるからです。そこまでいかなくても、せっかく築いてきた市場をライバルに食いあられたり、会社が分裂騒動に陥る危険性は、十分に予見されます。 

マイケルにとって、これまでの従軍や留学などを通じて、それまで経験したことのない環境に一人で身を置いて、その環境に適応し、そこから学ぶということを経験してきたことがプラスに働く可能性はあります。彼にとって最も未知な環境が、父親が創業した会社であり、その責任者の地位であり、ファミリー全体を率いることでしょう。故に、既知の環境でくすぶっているよりも、CEO指名のほうが能力を発揮できる場になる可能性があります。 

そして、次期CEOの指名を受け入れるのであれば、その決断は、すぐにしなければなりません。というのも、社内には長男亡きあとは次男と考える人もいるでしょうし、役員や幹部社員の中には「弱いCEO」のほうが仕事をやりやすいと思う人もいるでしょう。 

しかし、こうした考え方は、ライバルに付け入る隙を与えることにもなりかねません。そもそも父親の考えでは、次男フレドをリーダーとしたのでは、現在の難局を乗り切れないであろうし、平時においても、フレドではリーダーは務まらないだろうと思っていたはずです。求められているのは、強い、しっかりとしたリーダーです。 

こうした情況でリーダーシップを引き継いだ以上、CEOを引き受けると同時に、父親にはCEOから退いてもらいます。ファミリーのリーダーとしてはそのままいてもらうほうがよくても、ビジネスの場である会社ではマイケルが会社全体の最高責任者で、父親はその相談相手という立場を、法的にも確かなものにすることで、リーダーが複数存在しているように思われる情況をできるだけ早期に解消すべきでしょう。 

時には、CEOの交代を役員や社員に示す「儀式」が必要となります。それは、新CEOの就任式かもしれませんし、新CEOであるマイケルが役員ひとりひとりと役員の委任契約書を改めて取り替わすといったことかもしれません。 

特に創業リーダーから引き継ぐ場合、取締役会の運営(定期的な開催、議事録の作成など)や会社と役員との契約関係などが口約束のレベルで行われていることも珍しくありません。CEOの交代を機に、新CEOの最初の仕事として、取締役(会)の制度化・公式化を実現することは、G(ガバナー、統治者)やA(アーキテクト、設計者)としての役割にほかなりません。 

こうした一連の行動を通して、マイケルの覚悟のほどや腹のくくり方といったものが示されます。ファミリーにも会社関係者にも、覚悟を見せつけることでリーダーシップの第一歩が始まるのです。 

 

これまでほとんど会社の仕事にタッチしてこなかったマイケルは、まず、会社の現状をしっかりと把握する必要があります。父親であるCEOから、ビジネスについて一から学ぶ必要があります。即席でもいいから帝王学を学ぶのです。 

顧問弁護士のトムからは、父親とは違った視点から会社の現状を聞きます。次男フレドからもビジネスを学んだり、ファミリーの状況(長兄ソニーを失った一家をどのように面倒見ていくのか)を理解して必要な手を打つ上でのアドバイスを求めるかもしれません。 

古参の役員や幹部社員の話にも耳を貸す必要はありますが、意思決定をするのは新CEOであるマイケル自身であることを明示する必要があります。意見は聞いても、決めるのはマイケルです。その結論に納得しないのであれば、時には相談役に退いたとはいえ、役員や社員全体が服するあなたの父親に一言こういってもらいましょう。「CEOはマイケルだ。こことはマイケルと相談して決めたことだ。」 

スリー・サークル・フレームワークを思い出してください。CEOを引き受けるということは、ファミリーのリーダーにもなるということであり、オーナーの代表ともなるということです。マイケルと相談して決める対象は、ファミリー・メンバーに関する私的なものも含まれます。そのなかには、当然、マイケルの結婚という問題も含まれます。 

もし以前いた婚約者と既に結婚していたのであれば、その妻となった人にもリーダーのパートナーとして求めるものがあるはずです。最もセンシティブなのは、パートナーにどこまで仕事について関与させるかということです。まったく知らせず、専業主婦でいてもらうのを一方の極とし、CEOの右腕としていっしょにビジネスを盛り立てていくというのをもう一方の極として、その間のどこにマイケルの妻の役割を位置付けるのかが問われます。これは教科書的に決まるものではなく、妻である人の能力や資質、社会的な立場などによって異なります。もちろん、子供の有無、ある場合は、その子供の年齢や養育環境などにも左右されるでしょう。 

一方、以前いた婚約者とは既に別れており、現在は独身というのであれば、新たにCEOとなったマイケルが今後どのような人と結婚するのかは、ファミリーにとってだけでなく、引き継いだ会社にとっても重要事項です。ライバル会社の趨勢や今後の事業展開において協力・提携関係をもちたい会社があれば、時には政略結婚のようなことも覚悟しておくことになります。特に、父親が形成してきた人脈に代わるものは、従軍や留学で海外にいた期間が長いマイケルは、自社の事業展開地域にこれといった人脈ももたないでしょう。それを形成するのに、自分の結婚を活用できれば、そうしない手はありません。 

妻の役割でもうひとつ考えるべきは、ファミリー内部における位置づけです。他のファミリーメンバーとの関係にもよりますが、ファミリーカウンシルの事務局責任者などリーダーを補佐する役割を明示的にもつのか、あくまでも他のファミリー・メンバーと同じ位置づけなのか、いずれにしても、ファミリー・メンバーから、さまざまな頼み事や相談事を持ち込まれるはずで、それをうまく捌く能力が求められます。 

そして、マイケルの兄弟たちの役割をどうすべきかも問われます。特に、次男フレドと義兄カルロの処遇は慎重に時間をかけて、最終的にはビジネスの能力・実績およびビジネスに対するインテグリティで判断すべきでしょう。 

つまり、ファミリーのメンバー、特に年長のファミリーの一員だから重要なポストを任せて手厚く処遇するのではなく、非ファミリーの役員や幹部社員よりも厳しい程度に、ビジネスを実際に担当するなかで発揮される能力、本人の手柄または失態として認識すべき実績、CEO個人やファミリーのためではなくビジネスを発展させることに忠実であったかどうか、これらの点を重視して評価することになります。 

当初は、いわば側近のように扱い、兄弟たちには非ファミリーのメンバーには任せられない困難な課題を担当させるほうがいいでしょう。実際は、実績を出せるかどうか、その力量を見るために難しい仕事を任せたり、ビジネスに対して忠実であるかどうかということをマイケルは見ることになります。こうして、少なくとも表面的には、実績や能力の面から処遇を納得させる必要があります。できれば父親が相談役として動けるうちに、こういったテストを投げかけて、期待どおりの結果を出せるかどうか、判断することになります。 

このケースでは、フレドもカルロも合格点は得られないことが十分に予想されます。そうなると、次第に閑職に回されることが想定できます。最悪の場合、会社やファミリーを裏切って、ライバルと内通するといったことが起きるかもしれません。リーダーであるマイケルの立場では、最悪の事態を絶えず想定しておく必要があります。フレドもカルロも、程度の差はありますが、結局はライバルに内通しており、そのことを知ったマイケルは兄弟たちの措置に断を下すしかありません。 

最悪の事態が起きてしまったら、即座に、ファミリー・メンバーであろうとなかろうと、切ります。役員であれば解任、幹部社員であれば懲戒解雇です。もちろん、そう処分するのに耐えられる証拠をおさえておくことも忘れてはなりません。下手な訴訟合戦になれば、自社のブランドに傷がつき、ライバルを資するだけです。そうした事態に至らないように、顧問弁護士のトムと協力して事に当たるのです。 

 

 CEOの承継直後における当面の課題に対処できたら、次はジェンコ商会を事業の面でも組織運営の面でも大きく作り直す作業がマイケルを待っています。これは、短期的な打ち手と中長期的な打ち手に分けて考える必要があります。 

父親の死後、オーナー兼CEOの地位を引き継いだ三男マイケルは、いわば父親個人の能力や人脈に依拠していたビジネスを、現代のコーポレーションに作り変える作業に着手することになります。たとえば、これまで事業基盤としてきたニューヨーク周辺の地域に拘らず、西海岸やフロリダなど全米に事業地域を拡大すべきかもしれません。取り扱う商品も幅広くして、輸入対象国もヨーロッパだけでなく、中南米やアジアなどでも取引相手を求めるべきかもしれません。 

こうしたビジネス上の再構築と成長戦略は、CEOに就任して数年の内に一通り完了といえるレベルにまで仕上げたいものです。そのためには、自社ですべてを行うことは容易でないので、M&Aやターンアラウンド型のファンドの活用など、社外のアセットを活用することもあるでしょう。 

こうしたプロジェクトにフレドやカルロをリーダーとして任せて、その実力を測ったり、次世代の経営幹部候補の若手プロパー社員を発掘する機会として活用することも重要です。新CEOのマイケルとともに成長していく次世代の役員や経営幹部というのは、いわば子飼いの部下です。できれば、既に社内にいる人材のなかから子飼いの部下は発掘したいところですが、これはという人材がなかなか見つからないのであれば、社外から採用することも視野にいれるしかありません。実は、引き継いだ会社を作り変えるプロセスが、人材発掘の場でもあるように活用できれば理想的と言えます。 

リーダーを引き継いだ当初は、マイケルのビジネスメンターは父親でした。ただ、健康状態が思わしくない以上、いつまでもメンターとして助言できるわけではありません。父親に同世代の経営者をメンターとして推薦してもらえればベストですが、これといって思い浮かばないのであれば、少なくともファミリービジネスのMBAコースくらいは受講すべきでしょう。 

いずれにしても、学び続けること、そして自分自身が変わり続けることを、意識して行うことが必要です。できれば、学び変わることを楽しく感じるようになれれば、さらに良いでしょう。 

こうして、中長期的に会社の何を変えて、何を変えないのか、それを自らの経験とすることができれば、新たなリーダーとなった人にとっても有意義ですし、子飼いの部下を核に、会社の変えてよいものと変えてはいけないものを語るストーリーが伝えられていくことにもつながります。 

改めて述べるまでもありませんが、こうした第二の創業とも呼びうる事業承継プロセス全体で、ライバル会社に内通したり企業秘密を持ち出したりする役員や幹部社員が、ファミリーか否かを問わず、出てくる可能性があります。もしそうした人が出てきた場合、それが誰であっても、ファミリーの誰かであろうと子飼いの部下で側近中の側近というような幹部であろうと、ルール通り例外なくきちんと対処するのが、S(受託者、スチュワード)として受け継いだファミリーとファミリービジネスを守るのに不可避な行動です。 

そして、気がつけば、10年程度の時間はすぐに経ってしまい、さらに次の世代に引き継ぐための準備に迫られます。事前の準備もなく急にリーダーとなったマイケルにとって、次の世代を計画的に育成するというのは、最も大きな挑戦です。 

会社の代表者、特に創業者や創業者からその地位を受け継いだばかりの次世代のリーダーといった人は、次への継承ということを頭ではわかっていても、具体的に誰をどうするといったプランに落とし込めないまま、時間が過ぎていきがちです。 

自分に長男がいたとしても、その子は経営に向いていないどころか、アーティストやスポーツ選手のキャリアを志すかもしれません。マイケルの子供たちもそうでした。そうなった時、ファミリーのメンバーを広く見渡し、甥や姪、従兄弟たちなどから候補者を選び出すとなれば、その発掘・育成には相当の時間と労力がかかります。マイケルにとってのそうした存在が、長男ソニーが残した庶子です。 

ファミリーのメンバーのなかで誰をどのような役割で組み合わせていくのか、ビジネスという会社の面だけでなく、ファミリーという組織についても、それぞれの組み合わせを考えることになります。情況によっては、ファミリーカウンシルやファミリーオフィスといったファミリーを運営する組織体を設計し運営すべきかもしれません。 

少なくとも、税金面だけでなく事業のコンティンジェンシープランニングとしても相続対策を考えて、財団・社団等の私企業以外のスキームを活用した方策なども、できるだけ早い時期から運営しておくに越したことはありません。そうした準備が、ファミリー全体にファミリービジネスを受け継ぐとはどうようことか、その覚悟のほどを各人に問う契機ともなり、次世代のファミリーメンバーに対する教育の機会ともなります。 

 

  

10)まとめにかえて

 

 今月3日にアウトドアブランド「コロンビア」を展開するコロンビア・スポーツウエア・カンパニーの会長ガート(ガートルード)・ボイル氏が95歳で亡くなりました。コロンビアの創業者の娘に生まれ、2代目社長となった夫の急逝後、主婦だったガート・ボイル氏は大学生だった息子のティム・ボイルとともに会社を立て直し、更に大きく発展させました。そのプロセスは、正にファミリービジネスの承継と革新のストーリーであったことを想像させます(注7)。 

 事業承継という点では、創業者の娘とはいえ、専業主婦だったガート氏は、心の面では十分な準備があったとは到底、思えません。また、経営者(事業執行者)としてのスキルや株主としての企業統治の経験や能力も皆無だったことでしょう。 

父や夫が事業を拡大していく際に負った多額の借金と大学生以下3人の子供が残されている状況の下、当初、ガート氏はコロンビア社を売却しようとしますが、企業の評価額が低く、借金返済には至らないため、売却は断念しました。 

 そこで、自ら経営に乗り出すわけですが、マルチポケットフィッシングベストなどの初期の代表的な製品をもともと手作りしていたこともあった彼女にとって、製品開発を通じて起業家として能力を発揮するのは、当然のことであったのかもしれません。また、中高年の女性がアウトドア用品のモデルとなる例がなかったであろう1980年代に、広告のモデルに自らが扮するというのも実に革新的でした。

  

 「何か壁にぶつかったり、苦境に立たされた時こそ、人間はいろいろなことをより早く、より深く学べると思うんです。私の場合がまさにそうでした。そうした苦境の中でビジネスに関することを身に付け、実践してきたのです。」(株式会社コロンビアスポーツウエアジャパンの公式HP「コロンビアの歴史」より)

  

 このように彼女は語っていますが、実際に事業運営の渦中にいきなり放り込まれた情況では、このように学ぶ姿勢を意識的に持つというよりも、そうせざるを得なかったのだろうと思われます。後々改めて振り返ってみると、苦境から逃げずに、その最中に学ぶことで諦めずにアウトドア用品のビジネスを続けてきたわけです。 

もしかすると、ファミリーでやっているビジネスであるからこそ、事業が困難な状況にあっても、ファミリーのメンバーで事業を承継した者は、情況から逃げずに対処するのが当然と自然に覚悟ができているのかもしれません。それは、創業者の娘に生まれ、2代目社長の妻となって、もの作りも関わっていたガート氏にとって、事業売却がうまくいかなかったという外形的な事実とともに、既に無意識下でビジネスを引き継ぐマインドができていたかもしれないことも、事業を承継し大きく発展させていった要因ではなかったでしょうか。 

 

 今回ご紹介してきた「ビジネススクールで教えているファミリービジネス経営論」は、ファミリービジネスを引き継ぐであろう立場にいる人が事前に学ぶ上でガイドブックとして活用できるのはもちろんのこと、何らかの事情により突然、ファミリービジネスに関わらなければならなくなった人にとってもまた、ビジネスにおける案内図のようなものとして活用できるものでしょう。 

 ガート・ボイル氏が事業承継に直面した50年ほど前とは異なり、いまはファミリービジネスを経営する上での教科書もあります。危機的な状況のなかでしか、真に身になるスキルや知識は学びようもないかもしれません。とはいえ、事業を承継する前にも、また承継した後にも、ファミリーのリーダーが考慮し検討すべき課題を整理するのに、本書は最適と思われます。 

 

【注7

 たとえば以下のような記事があります。

 https://forbesjapan.com/articles/detail/30601

 https://www.fashionsnap.com/article/2019-11-06/columbia-gertboyle-pass-away/

また、コロンビアというブランドの歴史およびガート・ボイル氏については、公式HP(日本語版)に次のように紹介されています。

https://www.columbiasports.co.jp/about/company/ 

https://www.columbiasports.co.jp/history/

  

文章作成:QMS代表 井田修(20191118日更新)