新着コラムをご紹介いたします。

過去のコラムについてはこちらへどうぞ。

新卒一括採用を再考する(1)いつから行われてきたのか?

 

 経団連の中西会長が定例記者会見において新卒一括採用の見直しに言及(注1)してから1ヶ月ほどが経とうとしています。この間、新規学卒者(大卒)の就職活動の日程については政府でも検討することになるなど、一定の動きはありましたが、会見要旨にあるような人材戦略への問題意識に基づく動きはあまり目立たないように思われます。

 そこで、改めて新卒一括採用について、その機能や果たしてきた役割、また歴史的な経緯や今後の見通しなどを振り返っておきましょう。

 

 さて、新卒一括採用という労働慣行ですが、戦後に確立し定着したもの(注2)と言えそうです。

戦前には社会全体に見られる慣行としての新卒一括採用を行うほど、そもそも大学生が存在しなかったのです。戦後、特に1960年代以降、大学生が絶対数でも構成比率でも多くなってきたなかで、もともとは高度成長を支えるシステムの一つとして慣行化していったのではないかと想定できます。

 この辺りの事情を紹介した本として、「日本の近代12『学歴貴族の栄光と挫折』」(竹内洋著・中央公論新社より1999年刊)があります。以下、同書より、日本の企業社会における大学卒業生の位置づけの変化を見ていきましょう。

 

サラリーマンは有業人口中5.5%(大正91920年)、6.9%(昭和51925年)にすぎなかった。したがって、「サラリー・マンは、即ち日本の智識階級であり、日本の智識階級は凡てサラリー・マンに属している」と、いわれた。サラリーマンに独自の身分文化や階層が成立しえたのは、ピラミッド型学歴別人口によっている。昭和初期には、労働市場では、小学校(※1卒業生34人に対して1人が中学校卒業生、小学校卒業生30人に対して1人が大学や専門学校(※2卒業生だった。

(中略)

(戦後は)サラリーマン=ホワイトカラー層は、14%(昭和30年)、19%(昭和40年)と膨張していくが、中学校卒や高校卒、女性という労働力の下支えによって、昭和40年代初期までは、大学卒業生は経営幹部として採用されていた。「学卒(職員)」という言葉も企業で使われていた。(「日本の近代12『学歴貴族の栄光と挫折』」312ページ)

(引用者注:※1

当時は、小学校の6年間が義務教育期間でした。

(注:※2

当時の専門学校とは、現在の高校および大学の一部に相当するもので、○○実業学校とか××高等工(商)業学校といった名称であることが多かったようです。

 

 戦前から戦後の一定の時期(昭和40年頃までか)までは、大卒=経営幹部(候補)だったことが明確に指摘されています。いまでも多くの国々で、士官学校卒業生が将校(士官)となる軍事組織(大日本帝国陸軍も同様に陸軍士官学校卒業で士官=少尉となった)を有していると思われますが、それとの比較でいえば、大卒は企業という組織における士官、即ち経営幹部(管理・監督者)となる位置づけであったことが窺われます。

 その後の状況については、次のような記述があります。

 

 昭和381963)年に高等教育進学率は15.5%(大学12.1%)、短大3.4%)となった。高等教育は該当人口の15%までの進学率のときがエリート段階で、15%を超えるとマス段階になるという説(マーチン・トロウ)がある。この説にしたがえば、日本の高等教育は短期大学を含めた場合は昭和38年入学生から、四年生大学のみに限定すれば昭和39年あるいは44年にエリート段階は終わり、マス段階になったということである。以後、大学進学率は17.0%(昭和40年)、23.6%(昭和45年)、37.8%(昭和50年)となる。

(中略)

 昭和28年においては事務職は新規大卒就職者の43.0%だったのが、昭和43年には31.2%に減り、代わって販売職は、3.5%から19.3%になる。高卒の仕事はブルーカラー化し、大卒の仕事はブルーカラーとホワイトカラーの中間つまり「グレーカラー」化した。

(中略)

 大衆的サラリーマンとは、戦前の職員のように経営幹部として補充されるわけではなく、一般職員として補充され、下位の職位に長期間滞留し、徐々に昇進していくサラリーマンである。(同書314ページ)

 

 ここでは、大卒者の増加が大卒=経営幹部という図式を現実的に崩壊させていき、サラリーマンというグレーカラーの企業人を生み出したことが述べられています。

少数の経営幹部の人事を管理する時とは比べものにならないほど、このサラリーマンは人数として多いので、採用活動に始まる人事管理にも効率が求められます。ここに新卒一括採用が慣行化していく契機が見てとれます。

もちろん、採用活動だけが効率化が必要なわけではありません。たとえば、初任給をいくらに設定するのかも、一人ひとりの能力や属性(出身の大学や学部の違いなど)をみて個別に決定するわけにはいかなくなります。

 

学校ごとの初任給でみると、明治末ごろまでは、帝大1に対して東京高商0.60.7、慶応0.50.6、早稲田0.30.4という大きな格差があった。大正、昭和と時代が下ると、格差は縮まっていく。それでも表11にみることができるように、帝国大学出身者の初任給に肩をならべたのは、東京高等商業学校(東京商科大学、一橋大学の前身校)だけで、帝国大学の威信は民間企業でも他を圧倒していた。

 

11 学歴別初任給

 

三井鉱業(大正8年)

帝大

工科

 

50

法科

40

高商

東京高商

商業士

40

普通

35

神戸高商

 

35

地方高商

30

高工

東京高工

30

地方高工

30

慶大

30

早大

政治経済科

30

理工科

35

県立商工

甲種商業

18

甲種工業

18

早稲田実業

18

三田商工

18

 

三菱合資会社関係(昭和3年)

帝国大学

医科

90

工科

90

法科

80

文科

80

商科大学

80

商科大学専門部

75

慶大

75

早大

75

神戸高商

75

地方高商

6570

中央・法政・明治各大学部

6570

私大各専門部

5060

中学程度

35

 

(同書7072ページ)

 

 このように、戦前は、大学や学部が違うと初任給も違うのが当たり前だったようです。とすれば、大卒は同じように経営幹部(候補)であったとしても、入社後の処遇、特に昇進のスピードや上限(どこまで組織内のポジションを上がっていくことができるのか)などは違ったのであろうことは想像に難くありません。

 一方、新卒一括採用が慣行としてでき上がってきた高度成長期以降は、学歴別に初任給が異なることはあっても、同じ大卒であれば出身の大学や学部の違いを無視して同じ初任給とするのが標準となります。これも、大卒者を大量に採用しようとするが故に、個々の違いに着目して個別に初任給を提示することが実際上、不可能となってしまったからとも思えなくもありません。

 ただし、これが昇進(とそれに伴う昇給)となると、話が違ってきます。

既に述べたように、新卒一括採用が慣行化してきた時期は大卒者の大量採用の時期でもあります。大卒が少数の経営幹部の候補者であった時代なら、採用した大卒者全員を経営幹部(管理・監督者や役員など)とすることも可能でしたし、そうしなければ経営幹部が不足するかもしれません。

 言い換えれば、新卒一括採用はほぼ必然的に、サラリーマンというグレーカラーの企業人のなかから経営幹部を引き上げていかなければならないことを意味します。

この命題が高度成長期を過ぎた企業に重くのしかかっていくことになります。

 

【注1

経団連の中西会長の発言要旨は、以下の通りです。

http://www.keidanren.or.jp/speech/kaiken/2018/0903.html

 

【注2

たとえば、人材サービス系の企業のHPに新卒一括採用の歴史を紹介する記事が見受けられます。

http://hr-recruit.jp/articles/history

https://bizhint.jp/report/40454

 

作成・編集:人事戦略チーム(2018927日)

 

 

 

このサイトは、行政書士井田道子事務所のホームページです。