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2024年夏の3冊(1)~「めちゃくちゃわかるよ!印象派―山田五郎 オトナの教養講座」
今年の夏もまた猛暑となり、エアコンの効いた部屋で読書をしたくても、なかなか頭に入ってきません。そうした状況でもなんとか読みやすい本を思い手に取ったのが、『めちゃくちゃわかるよ!印象派―山田五郎 オトナの教養講座』『見るレッスン 映画史特別講義』『重力のからくり 相対論と量子論はなぜ「相容れない」のか』の3冊です。
そのなかで今回は「めちゃくちゃわかるよ!印象派―山田五郎 オトナの教養講座」(山田五郎著、2024年刊、ダイヤモンド社)を紹介します。もともとYouTubeの「山田五郎チャンネル オトナの教養講座」(注1)で採り上げられてきた絵画及び画家のうち、印象派及びその前後で印象派に大きな影響を及ぼしていたものについて、登場する画家たちの人物相関や活躍した時代の年表などを付して、内容を改めて整理しながら、山田五郎氏ならではの語り口で印象派を解説しています。
第1部「印象派が生まれるまで」では、印象派の先駆と言えそうな5人の画家について紹介します。
ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー「ノラム城、日の出」
印象派にとってのビートルズと山田五郎氏が評するイギリスの画家ターナー。作者や描かれた場所や年代を知らなければ、まさに印象派の作品と思わざるを得ない作品です。また、産業革命が絵画に及ぼした影響の一端にも言及します。
ジャン=フランソワ・ミレー「落穂拾い」
日本でも知名度が極めて高い作品について、政治と芸術(絵画)作品との関連が語られます。この作品に描かれているのは社会のありようそのものですが、描いているミレーは農民を描くことに満足していたわけではないことも紹介されます。絵画や画家の価値がフランス革命の時代趨勢とともに大きく変化する代表例です。
技術的には、筆触分割という印象派を特徴づける技法の走りとしてミレーを位置づけています。
ギュスターヴ・クールベ「画家のアトリエ」
ミレー以上に政治と芸術との関連を考えさせられるのが、クールベです。作家自身は変わらず、同じテーマを同じように描くのに、一方は絶賛されてサロンに入選し、もう一方は批判の的になります。移り変わっているのは、政治状況であって画家ではないのですが、それを逆手にとって個展を初めて行うなど、リアリズムを追求して活躍するクールベについて語られます。
エドゥアール・マネ「草上の昼食」「読書(講義)」
マネが古典的な絵画を引用して、古典派に挑戦する「草上の昼食」について読み解いた上で、個人的な事情や家庭環境を窺わせる作品として「読書(講義)」も解説します。画家たちとの人間関係では、ベルト・モリゾとの関係などにも言及します。
ウジェーヌ・ブーダン「ドーヴィルの海水浴」
19世紀後半の海水浴がどのようなものであったか理解できる作品です。海水浴といいながら、空が画面の大半を占めるところに、この画家の持ち味があります。風景画であり、集団の人物画でもあります。
ここまでで印象派直前で印象派につながる作品や画家を紹介しました。第2部「印象派の始まりと終わり」では印象派を代表する9人の画家とその作品を解説します。
ジャン・フレデリック・バジール「バジールのアトリエ」
印象派を経済的に支援し人間関係の面でも支えていたのが、バジールという若くして戦死した画家であったことを初めて知りました。クールベの「画家のアトリエ」とはまた趣向が異なり、印象派の画家たちやその絵画を紹介する作品でもあります。
クロード・モネ「印象、日の出」「散歩、日傘をさす女」
印象派の代表作を一つに絞るならば「印象、日の出」に尽きます。この作品を含む第1回印象派展についてルイ・ルロワが新聞に載せた批評から印象派という呼称が一般化するというのが通説ですが、その記事の原文を探し出してフランス語の辞書を片手に読んだ上で、この記事に従って印象派の作品をざっと紹介していきます(159~171ページ)。
また、「散歩、日傘をさす女」の顔の描き方やモネの人生を知った上で「睡蓮」の連作を見ると、浮世絵に影響を受けた風景画とはまた違った見方が成り立ちます。それが、睡蓮という仏教的な存在を描き続けることは写経に相当する行為という解釈なのです。
ピエール・オーギュスト・ルノワール
「ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会」
「イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢」
モネが筆触分割で風景を描くのに対して、ルノワールは人物を筆触分割で描くことに挑戦しました。その代表作が「ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会」です。しかし、この挑戦は不評続きで、ルノワールは筆触分割から古典的な手法に回帰して、人物画を描き続けます。その代表作が「イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢」です。
個人的には、この絵画の複製画が掛かっていた喫茶店に子供の頃から出入りしていましたから、この絵のモデルとなっている少女の人生やこの作品のその後が語られるのも、実に興味深く読みました。
アルフレッド・シスレー「ポール=マルリの洪水」
人生では特筆すべきことはあまりなく、生前はほぼ売れなかったシスレーですが、バジールとともにモネやルノワールを経済的に支えていました。その風景画はまさに「光の魔術師」と呼ぶにふさわしい作品です。
カミーユ・ピサロ「モンマルトル大通り、冬の朝」
印象派のなかでは明らかに年長者で、ドガを中心とするグループ、モネ・ルノワールを中心とするグループ、セザンヌを中心とするグループなどの間を取り持っていた存在がピサロです。
描く技術を次々と採り入れて、自らの画風が変わっていきます。筆触分割も点描も、風景画も人物画も、挑戦します。最後は代表作をホテルの一室から同じ構図で連作します。
エドガー・ドガ「エトワール」「14歳の踊り子」
印象派とはいえ、屋外で風景画を描くことがなく、室内で人物画ばかりを描くのがドガです。多くは女性を描くものですが、正面から顔を描くことがなく、ポージングをしている背中や足ばかりを描きます。現代なら、女性恐怖症のオタク的な存在と言われそうです。
年老いてからは立体的な踊り子(14歳)の像(蜜蝋またはブロンズ)を制作するエピソードも紹介します。
メアリー・カサット「青い肘掛け椅子に座る少女」
アメリカ出身の女性画家で、子供をかわいらしく描くことで独自の絵画を生み出します。どんなにひどい言葉を投げつけられても、ドガと終生、関係を保つという点でも、特筆すべき存在と言えます。
ベルト・モリゾ「ブージヴァルのウジェーヌ・マネと娘」
エドワール・マネに師事しようとするも断られる(エヴァ・ゴンザレスは師事できた)が、ウジェーヌ・マネ(エドワール・マネの弟)と結婚し、全8回の印象派展をほぼ全回(第4回は出産のために不参加)した画家が、夫と娘を描いた代表作を解説します。
作品で描かれている娘のジュリー・マネは、16歳までに両親が亡くなってしまいますが、その後はルノワール、ドガ、詩人のマラルメなどが親代わりとなって育てたほど、芸術家のサロンで育っていったそうです。
ギュスターヴ・カイユボット「床削り」
バジールとともに、印象派を経済的に支えた画家です。ルノワールの「ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会」も購入しました。
代表作の「床削り」にみられるように、描き方は古典的でも、題材は労働者を扱い、ミレーやクールベに連なるところがあります。
ここまでで印象派の画家たちとその代表的な作品は終わり、第3部「印象派は終わってからも新しい」で、ポスト印象主義の作家たちとして4人の画家を採り上げます。
ジョルジュ・スーラ「グランド・ジャット島の日曜日の午後」
感覚で描く筆触分割に対して、科学的な色彩混合を実現するのが点描です。その点描と言えば、この作品です。この絵は特にそうですが、点描という手法でなぜ動きが感じられなくなってしまうのか、解説があります。
ポール・セザンヌ「石膏のキューピッド像のある静物」
写真の登場により写実では生き残ることが難しくなった絵画に、絵画独自の価値を見出す時代がポスト印象主義です。ポール・セザンヌは、写実の絵画が下手だったからこそ、写真とは違う絵画独自の価値を作品として描くことができた経緯を説きます。
セザンヌを評する山田五郎語録「天才は天然に勝てない」(411ページ)が登場し、ピカソにとって、セザンヌとアンリ・ルソーとアフリカ彫刻はまさにピカソほどの天才でも描くことができない天然の領域であることが理解できます。
ポール・ゴーガン
「説教の後の幻影」
「我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへ行くのか」
フランス国内でも居住地をたびたび変え、タヒチにも二度渡り、そこでも居住地を変えるなど、ゴーガンは放浪の画家です。もともとペルーで育ち、若いうちに船乗りとして世界一周を経験し、株式仲買人として成功しながら、画家としては売れずに生活が苦しくなるなど、社会的にも人間関係上も安定とか定着とは無縁の生き方が語られます。そこから、これらの代表的な作品が生まれます。
フィンセント・ファン・ゴッホ「ひまわり」「耳に包帯を巻いた自画像」
ゴッホほど、その時々の精神状況が作品に表出している画家というのも珍しいことが理解できます。「ひまわり」がいくつも描かれた理由、「耳に包帯を巻いた自画像」から窺えるゴーガンとの関係、ゴッホの死にまつわる推測なども紹介します。
以上で本書の概要紹介を終わり、本書が読みやすいと感じられる理由をいくつか挙げたいと思います。
もともと山田五郎氏本人が美術に関して素養がある上にYouTubeチャンネルで語るまでの準備が入念で、毎回のテーマに合わせて文献調査などを行い、しっかりと理解した上で自分の言葉で語っていることがあります。この点は自ら語っているところでもあります(注2)。
YouTubeで語っている言葉を活かすように対談形式で展開することも、読みやすさにつながっています。もちろん、それぞれの画家に関するエピソードが豊富なので飽きさせることがない上に、描き方や絵画の手法についても過不足なく言及しているため、なぜこうした絵画が成立してきたのか、素人でも理解できるようになります。
YouTubeから再構成されたが故に、印象派という西洋絵画の位置づけや意味合いを知ることができるともに、その後のトレンド(ポスト印象主義、フォービズム・キュビズム・表現主義など)が出現してきた理由も、少しは理解できたかもしれません。
西洋絵画は、もともと宗教画として確立し、後に写実としての絵画として肖像画が描かれるようになりました。写実のための絵画技法が完成してきたところに、政治的・社会的にも科学技術上も革命が進み始め、画家も描き方や顧客(注文主)の変化に対応していく必要に迫られる中で、印象派が生まれて終わっていったことがわかります。同様の変遷は、宮廷や教会を出て市民社会へと広がっていった音楽の世界でも起こっていたのではないかと思われます。
そして、扱われている画家だけでなく、言及される作品についても1ページに1図版かと思うくらい豊富に紹介されるので、美術館や絵画のデータベースにアクセスしなくても様々な作品を即座に観ることができます。これも本書の大きな利点であり、読みやすさ・理解しやすさにつながります。
本書で言及されているように、それぞれの画家には個人的な欠点も多いでしょう。それらを単に面白おかしいエピソードとして紹介するのではなく、それらの欠点を画家のもつ特徴を形成するものとして評価し、現代であれば社会的に抹殺されそうなものでも、読者に理解してほしいという感情が伝わってくる点も見逃せません。特に、マネ、クールベ、モネ、ドガ、ゴッホについては、これだけ困った点がある人だからこそ、ここだけは認めてあげて欲しいというポイントがあるように思われます。
本書の問題点を一つ挙げるとすれば、脚注の文字があまりに小さいことでしょうか。これであれば、脚注だけ取りまとめたページを最後につけるほうが、まだ読みやすいのではないでしょうか。
さて、本書は、美術の教科書に指定すべきとまでは言いませんが、副読本くらいには指定してほしい本です。
美術や音楽などは創作実習が多かった記憶がありますが、国語では創作実習よりも詩や小説を読んで理解し鑑賞するほうが多かったはずで、音楽でもクラシックを鑑賞する時間はありました。しかし、美術では作品鑑賞の時間などなかったように思います。せめて、こうした本を参考に、絵画や彫刻を鑑賞したり、美術館に実際に行って鑑賞したりするような学習方法があってもよいのではないかと思わずにはいられません。
美術に限りませんが、音楽でも国語でも何も知らないのでは、鑑賞も制作もできないのが当たり前です。「自分で感じるままに見る・作る」というのは、よほどの天才か山田五郎流の表現を借りれば「天然」でなければ強みとして実行することはできません。
技法にせよ制作過程にせよ、制作者を取り巻く人間関係や社会状況にせよ、幅広く知っているからこそ自分の制作や鑑賞を少しでも深めることができるのです。そして、知っているからこそ、知らないことの強みが理解できるのであって、何も知らないままでは強みも何もありません。
著者自身がもともと編集者であったからか、読者やYouTube視聴者の存在を意識して内容を作り上げています。こうしたアプローチでなければ、大人も子供も興味を持つような教科書や参考書を生み出すことは難しいでしょう。本書を読んで、そうした思いを強くもった次第です。
付記 昨日、YouTube「山田五郎 オトナの教養講座」にて本書の訂正が出ました(注3)。これだけの情報を集めて解説する以上、こうした訂正は避けられないかもしれませんが、学者が学説を主張する場合とは違って、すぐに訂正を公表できるのも本書の強みのひとつかもしれません。
【注1】
【注2】
【山田五郎】最強の記憶法伝授!知識は断片を集めることほど重要じゃない!【山田五郎 公認 切り抜き 美術解説 美術 教養 大人の教養】 (youtube.com)
【山田五郎】私物メモ初公開!五郎さん流!思考整理術も伝授!驚きの○○を活用!?【山田五郎 公認 切り抜き 美術解説 美術 教養】 (youtube.com)
【注3】
作成・編集:QMS 代表 井田修(2024年8月17日更新)
2024年夏の3冊(2)~「見るレッスン 映画史特別講義」
次に採り上げるのは、「見るレッスン 映画史特別講義」(蓮實重彦著、2020年光文社新書)です。この本は、著者が長年携わってきた映画批評の実践からかいつまんで映画史を語るものです。
筆者は、著者の蓮實重彦氏の著作で若いころに挫折を経験させられた者の1人です。その挫折というのは、当時、映画鑑賞を趣味としている人たち、特に学生などの間で注目されていた批評家であった蓮實氏が著した「表層批評宣言」を理解する以前に、読み通すことすらできなかったことです。
その冒頭部分を以下に引用します。
たとえば、「批評」をめぐって書きつがれようとしながらいまだ言葉たることができず、ほの暗く湿った欲望としての自分をもてあましていただけのものが、その環境としてある湿原一帯にみなぎる前言語的地熱の高揚を共有しつつようやくおのれを外気にさらす覚悟をきめ、すでに書かれてしまったおびただしい数の言葉たちが境を接しあって揺れている「文字」と呼ばれる圏域に自分をまぎれこまそうと決意する瞬間、あらかじめ捏造されてあるあてがいぶちの疑問符がいくつもわれがちに立ち騒いでその行く手をはばみ、そればかりか、いままさに言葉たろうとしているもののまだ乾ききってもいない表層に重くまつわりついて垂れさがってしまうので、だから声として響く以前に人目に触れる契機を奪われてしまうその生まれたての言葉たちは、つい先刻まで、自分が言葉とは無縁の領域に住まっていたという事態を途方もない虚構として忘却し、すでに醜く乾涸びたおのれの姿をもはや郷愁すら宿ってはいない視線で撫でてみるのがせいぜいなのだが、そんなできごとが何の驚きもなく反復されているいま、言葉たるために耐えねばならぬ屈辱的な試練の嘆かわしい蔓延ぶりにもかかわらず、なお「批評」をめぐって書きつがれる言葉でありたいと願う湿った欲望を欲望たらしめているものが、言葉そのものの孕む不条理な夢の磁力といったものであり、しかも、その夢の目指すところのものが、言葉自身による「批評」の廃棄というか、「批評」からそれが批評たりうる条件をことごとく奪いつくすことで「批評」を抹殺し、無効とされた「批評」が自分自身を支えきれずに崩壊しようとするとき、かりに一瞬であるにせよ、どことも知れぬ暗闇の一劃に、人があっさり「文字」とよんでしまいながら究めたこともないものの限界、つまりはその境界線を投影し、かくして「批評」の消滅と「文学」の瞬間的な自己顕示とが同時的に進行すべく言葉を鍛えておきたいという書くことの背理の確認であるとすれば、誰しも、おのれ自身の言葉の幾重にも奪われているさまに改めて目覚め、書き、そして読むことの不条理に意気阻喪するものもまた当然といわねばならぬ。(「表層批評宣言」蓮實重彦著、ちくま文庫版、1985年刊、所収『言葉の夢と「批評」』11~12ページより)
この文章は、文庫本の判型で22行(約2ページ)の1段落分が一つの長文になっています。どこが主語で、どこが述語であるのか、語句相互の関連性はどのようになっているのか、一読しただけで理解できる人がどれほど存在するのかわかりません。
もともと1970年代後半に発表された当時は、書籍化された際の「はじめに」はなかったはずで、そこに書かれているように、書くこと・批評することの不自由さが文章を読み解く手懸りであることも示されてはいなかったでしょう。
映画作品にせよ、文学作品にせよ、何を対象に批評を行うにも、その芸術形態の制度から自由になることは難しいでしょう。制度は目に見えるものだけでなく、ものの見方や捉え方に深く根ざしており、制度として自覚されないものもあれば、制度として確認されたとしてもその限界を確認しながら批評を書くことは、通り一遍の表現で済むものとは思えません。
特に映画を読み解き作品を批評するということになれば、一方で文章を書くという創造的な行為もあれば、まず作品を見るという感覚的な行為もあります。鑑賞という行為から文章化するという行為へと移る間に、正確に書こうとすればするほど、文章が通常の形態から外れていってしまうのかもしれません。
また、作品に対するあこがれや嫉妬を自覚した上でそれを告白したり乗り越えたりしなければならないのが批評という作業であるとすれば、表面的に読みやすい文章で、書きたいこと・伝えたいことが表現できるとも思えません。
そして、ストーリー、登場人物、作品中に描かれている風景など、通例となる批評文で言及されているであろうことも、映画作品で描かれているものを紹介するのではなく作品を批評する際の素材として捉えるならば、それらを文章化してみせることの不自由さから逃れる術はないことを自覚しなければなりません。
と、ここまで、久々に「表層批評宣言」を手に取ってみて、映画を見ること・批評することを改めて考えてみた次第です。
さて、「表層批評宣言」が文庫化された頃、蓮實氏は自らの名を責任編集として掲げて新たな映画雑誌を創刊します。それが「季刊リュミエール」です。その創刊号にある「創刊の辞」の冒頭を紹介します。
季節がめぐりくるごとに、一冊ずつ雑誌を刊行しようと思う。誌名は「リュミエール」、映画の雑誌である。一年に四回、あたりに注がれている光線の推移につれて、雑誌も、その表情を微妙に変えてゆくだろう。季刊を自称するからには、何にもまして光に敏感でなければなるまい。いま、われわれのまわりに降りそそいでいるのはどのような照明なのか、そしてそれは、どのような物影をきわだたせようとしているのか。(「季刊 映画 リュミエール1 1985-秋」『創刊の辞』より)
この文章から何を創刊するのか、何を意図して創刊するのか、理解できるでしょう。具体的な映画作品及び映画作家について、年に4回、光を当てていこうとする雑誌なのです。
この雑誌「リュミエール」は映画雑誌とはいっても、スターの写真や名場面の紹介などはほぼありません。あくまで映画について、監督などの当事者や批評家・研究者が語る場としてのメディアです。映画批評という光を映画作品に当てることで、映画作品もまたその表情を微妙に変えていく、その光や表情を敏感に捉えることを企図しているはずです。光と同時に、影についても際立たせようとする意図も明示されています。
ちなみに、その創刊号の内容は次の通りです。
山田宏一構成「それはリュミエールからはじまる」
特集=73年の世代
W.ヴェンダース・インタビュー「『パリ、テキサス』で私は最後のアメリカ映画を撮ったつもりだ」
蓮實重彦「ガラスの陶酔―ヴィム・ヴェンダース論」
畑中佳樹「『パリ、テキサス』または砂漠からの目覚め」
金関寿夫「ライ・クーダーは語る」
厚田雄春インタビュー「私は小津監督の「キャメラ番」でした」
澤井信一郎インタビュー「ビクトル・エリセは過去の映画を豊かに勉強した人だと思う」
松井悠「ビクトル・エリセから送られるもの」
V.エリセ「スタンバーグの秘かな冒険」
D.シュミット・インタビュー「『トスカの接吻』と『ルル』死にかけた映画と死にかけたオペラのために」
C.テッソン「オペラの亡霊たち」
松浦寿輝「クリント・イーストウッドは男のなかの男である」
C.イーストウッド・インタビュー「私の額には西部劇の聖痕が刻まれている」
73世代のフィルモグラフィーとして、ヴィム・ヴェンダース、ヴィクトル・エリセ、ダニエル・シュミット、クリント・イーストウッドの監督作品のリスト
淀川長治インタビュー「ぼくらはみなアメリカ映画育ちなんだ」
沢田康彦「ジョン・フォード一家の残党に会う」
A. タッソーネ&M.テシエ「『乱』と黒澤明をめぐって」
山根貞夫「最後の加藤泰」
山田宏一・山根貞夫・蓮實重彦「映画を輝かせるために」(座談会形式の映画評論)
『パリ、テキサス』シナリオ完全採録、書評、コラムなど
自らヴィム・ヴェンダースの作品を論じる文章もありますが、創刊の辞やインタビューや座談会など論考ではなく語る・喋る言葉が続きます。話がとびとびになりがちですが、わかりやすいことも事実です。
それから35年が経ち、「見るレッスン 映画史特別講義」が書かれます。
まずこの書物を読んでくださる方々にお願いしたいのは、世間で評判になっている映画ばかりを見るのではなく、評判であろうとなかろうと、自分にふさわしい作品を、その国籍や製作年代をこえて、自分自身の目で見つけてほしいということです。そのためには、妙に身がえることなく、ごく普通に映画を、見ていただきたい。蓮實個人の視点など学ばれるにおよびません。もっぱら自分が心から共感できる作品を見つけるために、映画を見ていただきたい。(「見るレッスン 映画史特別講義」『はじめに 安心と驚き』3ページより)
本書の「あとがき」で明らかにされているように、著者は新書嫌いというか、新書は書かないと心に決めていたそうです。しかし、映画批評家として映画史の特別講義を行うというインタビュー形式でこの新書をまとめるに至るのですが、これが結果的に読みやすさにつながっていることは否定できません。
一般に新書は一定の時間(1時間とか東京から大阪にのぞみで移動する時間)で一気に読み切る分量と読みやすさを出版(編集)サイドは意図して製作するそうですが、こうした意図が、書こうとすることを正確に書くことにより却って読みにくくなってしまうことを回避することにつながっているのかもしれません。
以下に本書の内容を紹介します。
第一講 現代ハリウッドの希望
第二講 日本映画 第三の黄金期
第三講 映画の誕生
第四講 映画はドキュメンタリーから始まった
第五講 ヌーベル・バーグとは何だったのか?
第六講 映画の裏方たち
第七講 映画とは何か
第一講では、映画は90分で描けるという説が出てきます。以前のハリウッドではプロデューサーが映画は100分(それ以上長いと観客が飽きてしまうから失敗する)ということに拘り、ファイナルカット(編集決定権)を監督ではなくプロデューサーがもつことで、プリントを切って短くしたというエピソードは、さまざまな作品について読んだ記憶がありますが、ここでは映画の構成について論じています。90分の作品の撮り方は完成しているが、150分の作品の撮り方はいまだに完成していないという指摘や、映画は物語を辿るものではなく、被写体がキャメラに収まるものであるという映画観に、われわれも耳を傾けるべきでしょう。
第二講では、若手の映画作家たち、女性のドキュメンタリー映画監督、障がい者の日常を捉えた作品、見るべき日本の女優たちについて紹介しています。
第三講では、映画の歴史を振り返りながら、映画批評家の責務として、映画史に何らかの形で貢献することが求められます。そのためには未発見のプリントを発掘する気概を持たねばならないことを主張し、著者のロシアでの経験(76~78ページ)を語っています。
第四講では、日本のドキュメンタリー映画史を語ります。劇映画の歴史は多少なりとも知っている人は多いでしょう。ドキュメンタリー映画の歴史となると、そもそもドキュメンタリー映画自体を観たことがない人も多く、知らない人ばかりと危惧されます。
第五講では、フランスで起こった映画の運動であるヌーベル・バーグについて具体的な作品や作家を含めて概説します。日本のヌーベル・バーグについても、著者と同じ映画研究会にいた先輩の中島貞夫の『893愚連隊』を唯一のヌーベル・バーグと評しています。数多くの作品や監督に言及しているので、映画や映像を研究しようと思えば、批評家だけでなく監督や技術スタッフや俳優を目指す人たちやアーティストなど映画や映像表現に関わる可能性があるならば誰もが、ここで挙げられているものだけでも一度は見ておくべきでしょう。
第六講では、監督以外の映画製作に関わる主要スタッフとして、キャメラマン(カメラマンとは呼ばない点に注意)、脚本家、美術監督、プロデューサーについて論じます。
第七講では、映画の現在を気遣います。東京国際映画祭の問題点にも言及していますが、リュミエール創刊時にも始まったばかりの東京国際映画祭の課題を指摘しており(「季刊 映画 リュミエール1 1985-秋」179ページ)、日本の映像産業がグローバルなマーケットへ打ち出すのにうまく機能しない状況は変わっていないと思わざるを得ません。
今夏、3年半ほど前に買ったままになっていた本書を読みながら、著者の文章にチャレンジした(けれども歯が立たなかった)学生の頃や、読み応えのある映画雑誌を買っていた社会人になったばかりの頃を思い出す契機ともなりました。
そして、今の映画と映画批評をより一般の人々に向けて語る本書「見るレッスン」には、“映画史特別講義”という副題があるように、歴史を明らかにしていくために事実を集める作業を批評家が担うという姿勢がはっきりと表現されており、伝えるべきことをきちんと伝えるには、適切な文体が必要となることも理解できます。
批評を書くということを正確に論じようとしている「表層批評宣言」、映画批評をより専門家にも一般の人々にも伝える雑誌「リュミエール」とともに、本書も映画作品や映画批評のありかたを今問うているのです。
作成・編集:QMS 代表 井田修(2024年8月21日更新)
2024年夏の3冊(3)~「重力のからくり 相対論と量子論はなぜ「相容れない」のか」
表現が厳密でなければならないものの代表が数学や物理学でしょう。数式で表現されるものは厳密ではあるものの、その意味を理解するだけの知識を持っていなければ未知の外国語よりも理解しがたいものでもあります。
さて、3冊目に採り上げるのは、『重力のからくり 相対論と量子論はなぜ「相容れない」のか』(山田克哉著、2023年、講談社ブルーバックス刊)です。
ブルーバックス自体が科学を一般の読者向けに展開している新書なので、図表・写真・イラストなどを用いて読みやすく理解しやすいように工夫されています。数式そのものがもつシンプルな表現こそが、自然科学を記述するのに適している点も見逃せません。本書も数式が出てきますが、数式で表すことができることを同時に文章化することで、物理に不慣れな読者も内容についていくことができるように意図されているようです。
その一例として、ふたつの式とその説明を紹介します。
F=ma (式1-1、ニュートンの第二法則)
F=G(mAmB/r2) (式2-2、ニュートンの万有引力の法則)
一つは、質量mをもつ物体に力を連続的に加えつづけると、その物体は加速されるという「ニュートンの第二法則」とよばれる運動の法則です。この式は、たった1個の物体(質量m㎏)に力F(N)が加わったとき、物体は加速度a m/s2で加速されることを示しています。(中略)もう一つの式は、「万有引力の法則」です。こちらは二つの点状物質(あるいは、ともに質量密度が一定の二つの球体)に作用している重力を表しています。(本書76ページ)
式と説明がセットで紹介されることで、物理学の基本的な法則を表す式とその意味をまとめて理解できるようになっています。ここに質量と重量の違いが明確に表されています。
そして、F=ma(式1-1)において、力が重力の場合は、質量mの物体には重力加速度gで加速されるということを表す運動方程式が示されます。
重力=mg(式1-3)
私たちが生きている世界(この宇宙と呼んでもいいでしょう)は、正に、この重力がいたるところに存在する世界です。そして、重力がある世界では、物体は連続的に変化(運動)することが理解できます。ここから、相対論についての説明が展開されていきます。
一方、物質の最小構成単位を明らかにしようとする物理学である量子論では、物質のもつ電荷には最小単位があることがわかっています。その最小単位は次のように記述されます。
e=1.602×10-19(電荷の最小単位、1クーロン)
この記述から理解されるように、物質の最小構成単位のもつ電荷は定数です。つまり、すべての物質はこの電荷の整数倍となる電荷をもつはずですから、電荷(エネルギー)という面から見ると、物質はデジタルに表現できるはずです。
例えば、この物質Aは1億5600万クーロンだが、別の物質Bは7583万クーロンといった具合です。実際にはエネルギーの単位はジュールですが、いずれにしても、デジタルに表現可能なものです。
一般相対性理論における重力場が「なめらかに連続的に変化している」と聞いて、「量子論と相容れない」ことにピンときた人は、物理学の勘が研ぎ澄まされています。
そうです、電荷や電磁波のエネルギーを例に、あるいは日本の通貨「円」を喩えに用いながら説明したように、「量子化されている」ものは連続的には変化できず、飛び飛びの値で離散的にしか変化できないからです。(中略)
原子1個よりも桁外れに小さい、文字どおり以上の超ミクロサイズの空間にも、重力場は存在するはずです。(本書247ページ)
つまり、連続的に変化する重力が存在する(重力場がある)ことを認めると、ミクロの世界の物理を記述する量子論と矛盾するのではないかということが、本書のテーマなのです。そして、この矛盾を解消する統一的な理論の誕生が現代物理学で求められているのですが、それはまた次のテーマです。
このように、数式を用いてその意味を説明していくことで、現代の物理学の一端に触れることができます。本書は厳格に理論を説明しなければならない領域において、数式と言葉による説明のバランスを巧みにとっています。学術論文ではほぼ無理なことを、一般向けの解説書であるから可能な表現方法を採って説明しています。
本来は専門家こそ、専門的な表現形態を一般向けにわかりやすく変換して表す技術を身につけてほしいものでもあります。それは、自然科学の領域だけに留まらず、社会科学や人文系の学問分野においても、専門家に必要なスキルでしょう。
作成・編集:QMS 代表 井田修(2024年8月30日更新)
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