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中小企業における人への投資(1)~現状と課題~

 

 人的資本経営(注1)やリスキリングといった言葉が人口に膾炙するようになって数年が立ちました。大企業は元より中堅クラスの企業でも、VUCAの時代にあった人材ポートフォリオの組み替えを志向したり、業績は悪くなく黒字であっても早期退職や希望退職を募ったり(注2)して、人への投資を行いながら事業構造の転換やコストダウンを実現しようとしています。ただ、人的資本経営を志向するといっても、取締役会や管理職の女性比率や外国人比率を多少なりとも高める段階に留まっているものもあれば、情報開示などのテクニカルな面での対応に腐心しているケースも見られます。

一方、中小企業においては「人への投資」の前に、そもそも人手が足りないとか経営を担う後継者がいないといった人的経営課題への対応に窮しているのが現実です。帝国データバンクの調査(注3)によると、次のように人手不足倒産や後継者不在による倒産が多く見られます。

 

人手不足を理由に事業継続を断念するケースが、本格的に増加している。2023年の人手不足倒産は累計で260件となり、年間ベースで過去最多を更新した。…(中略)…人手不足のさらなる深刻化が懸念されている建設/物流業の件数は、全体の半数を占める高水準となった。…(中略)…足元では企業の人手不足感が高まり続けている現状を踏まえると、今後も人手不足倒産は高水準で推移する可能性がある。(「人手不足倒産の動向調査(2023年)」より引用)

 

後継者不在のため事業継続の見込みが立たず倒産した「後継者難倒産」は、202311月に46 件発生した。1-11月の累計件数は509件となり、12月を残して年間の最多件数を更新、初の500 件超えとなった。…(中略)…代表者の高齢化が進むにつれ、病気や死亡により事業継続がままならなくなるほか、「後継者育成」が頓挫し、承継完了が間に合わずに事業継続を断念するリスクは高まってきている。後継者が不在のなか、十分に業績が改善しないままゼロゼロ融資の返済や各種コスト負担などに追われる企業を中心に、後継者難倒産は今後も増加する可能性が高い。(「全国企業倒産集計11月度 別紙号外レポート:後継者難倒産」より引用)

 

また、東京商工リサーチの調査(注4)によれば代表者の年齢階層別にみると、休廃業した企業のうち70代が42.9%と最も多く、80代以上が23.6%、60代が20.3%と続きており、60代以上が9割近くを占めていることがわかります。中小企業では倒産する前に、休廃業という形で事業の継続をあきらめていることが十分に窺えます。

こうした現状にある中小企業の認識について、独立行政法人 労働政策研究・研修機構の「人への投資と企業戦略に関するパネル調査(第1回)」(注5)では、人材マネジメント全般及び人材育成・教育訓練について次のような課題があると認識されているようです。

 

(1) 人材マネジメント

雇用管理・人材マネジメントの取組については、中小企業では、「長時間労働の防止」「安全衛生対策の強化」に比較的多く取り組んでいるが、大企業では、これらに加え「ハラスメント対策」「仕事と育児・介護・治療等との両立支援」「定期的な面談とフィードバック」 などにも多く取り組む。人材育成の取組については、大企業に比べて中小企業の取組が、また、正社員に比べて非正社員に対する取組が、相対的に進んでいない。

働き方や人材育成に関する具体的な制度についても、大企業に比べて中小企業での導入が進んでいないが、近年になって中小企業でも導入が広がる制度もある。

(2) 人材育成・教育訓練

研修予算を投入しているスキル・知識については、中小企業では「業務知識」が目立つ一方、大企業では、それ以上に「対人スキル」も重視。

研修の受講者の割合や受講日数については、中小企業ではそもそも研修を実施していない割合が高く、大企業では、受講者割合で020%未満、受講日数で12日未満が最多。

現金給与総額に対する能力開発費の割合は、中小企業、大企業ともに、無回答が多いことに留意が必要であるが、最多回答である「0」を除くと「0.5超~1%」が比較的多い。

「人への投資と企業戦略に関するパネル調査(第1回)」報告書1ページより引用)

 

こうした現状や課題認識を踏まえて、今回のコラムでは特に中小企業にとって人への投資とはどのような意味を持つものなのか検討し、期待される効果や投資の具体的な方法などについて考えていきます。

 

【注1

人的資本経営については、2年前に経済産業省の検討会から報告書が提出されました。その概要については当コラムでもご紹介しています。

「人材版伊藤レポート2.0」を読んで(1) - QMS 行政書士井田道子事務所 (qms-imo.com)

 

【注2

早期退職や希望退職の現状については以下のサイトを参照してください。

2023年の「早期・希望退職者募集」は41 人手不足のなか3年ぶり増加、黒字企業が半数を超える | TSRデータインサイト | 東京商工リサーチ (tsr-net.co.jp)

 

【注3

人手不足による倒産の動向調査(20241月発表)については、以下のサイトを参照してください。

p240106.pdf (tdb.co.jp)

後継者難による倒産の動向調査(202312月発表)については、以下のサイトを参照してください。

p231205.pdf (tdb.co.jp)

 

【注4

詳しくは以下のサイトを参照してください

2023年の「休廃業・解散」過去最多の4.97万件、赤字率は過去最悪、倒産増で「退出企業」も過去最多 | TSRデータインサイト | 東京商工リサーチ (tsr-net.co.jp)

 

【注5

独立行政法人 労働政策研究・研修機構「人への投資と企業戦略に関するパネル調査(第1回)」の報告書は以下のサイトを参照してください。

0232.pdf (jil.go.jp)

 

作成・編集 人事戦略チーム(202431日)

 

 

中小企業における人への投資(2)~投資と経費~

 

 一般に、機械設備であろうと、ソフトウエアやITシステムであろうと、ブランドや特許などの無形資産であろうと、事業に供する資産は活用すればするほど、その価値が減少します。その原因として、単純な経年劣化もあれば技術革新や市場の変化に適応できないといった外部環境とのずれもあるでしょう。

いずれにせよ減少した価値は、経理上は減価償却という形で処理することになります。最終的には、別の機械設備に切り替えたり、新たなソフトウエアやITシステムを導入したり、ブランドや特許を更新したりすることになるでしょう。そのための新たな投資が必要となることもあります。

ときには、当初見込んだ時間ほど価値が続かずに、早期に減損処理という形で事業に活用するはずであった資産をなかったことにする場合もあるかもしれません。当初の予定通り事業に活用し続ける資産であっても、機械設備やITシステムではメンテナンスという形で維持管理に追加のコストをかけることもあります。

 こうしたことは、人的資本についても同様です。人的資本も、事業に活用すればするほど、その価値が減少するものと思って対処すべきです。仕事ばかりに明け暮れていると、いつの間にか世の中の動きについていけなくなっている人は、どの業界でもどの職種においても見られます。

もともと能力がなかったり仕事への意欲が低かったりするのであれば、人的資本とは呼ばれません。昔は優秀だった人、当時は人的資本と呼びうる価値のあった人が、一定の時間が経つにつれて改めて見てみると、支払っている給料ほどの価値がない人になってしまっているわけです。

もっとひどいのは、その人が組織に存在するだけで仕事の邪魔になっているケースです。もちろん、本人にはその自覚はないでしょう。薄々気が付いていることはあるかもしれませんが、自分の存在価値を全面的に否定されてうれしい人はいないはずです。もし、それが中小企業の経営者自身であったとしたら、企業の存続に関わる問題です。

肝要なのは、そうならないように人的資本の価値を絶えず高めるように必要なコストをかけ続けることです。つまり、人的資本にはまず、メンテナンスコストをかけることが必須で、人的資本への投資(インベストメント)は別の課題であることを理解しなければなりません。

これは、機械設備で考えてみれば当然のことです。現事業で使っている機械設備を定期的に洗浄したり不具合の出た部品を交換したりするのに修繕費をかけます。一方、現事業の生産能力を大きく増強したり新たな事業をスタートするのに別の機械設備を導入したりするのが設備投資です。このふたつは別物です。

人的資本でも、修繕費的なものと設備投資に相当するものを分けて考える習慣をつけなければなりません。経営者を含めて現在いる社員の能力を維持・向上させるのは、いわば修繕費です。つまり、一般的な教育訓練のコストは人的資本の修繕費と捉えることができます。

それに対して人への投資とは、中長期的な視野に立って、黒字の事業であってもリストラを進めるとか既存事業から撤退する、もしくは新たな事業分野に進出するために人材を採用したりするとか別の企業を買収したりすることです。決して、現事業を伸ばしたり改善したりするために人員を多少増やしたりリスキリングを行ったりすることではありません。

さて、従業員については、人への投資の要点ははっきりしているものと思われます。「TIME TALENT ENERGY – 組織の生産性を最大化するマネジメント」の共著者であるエリック・ガートンは、数年前の論考(注6)で次のように人的資本への投資を簡潔に表現しています。

 

最も直接的かつ明快な投資は賃上げだ。他には、教育やトレーニング、健康支援の強化などが含まれる。さほど目立たない投資方法として、新しいアイデアや専門能力向上の機会を模索する時間と場所の提供なども挙げられる。

 

中小企業にとって一般の従業員を対象とする人的資本への投資の最初の一歩は、大企業を上回るか少なくとも同等レベルの給与水準を実現することでしょう。次に、能力開発や健康経営などの機会を保証し、職場でのチャレンジや資格取得のなどを奨励することが求められるのです。現在は、これらに加えてリモートワークや育児サポートなどの職場環境整備も投資の対象として挙げられるかもしれません。

中小企業は従業員数が少ないが故に、その一人ひとりのもつインパクトを決して無視できません。特に100人以下の組織では、一人のもつ意味は極めて大きいのです。経営者やオーナーと同様に、従業員への投資がインパクトをもつことを忘れてはなりません。人的資本経営は中小企業こそ強く意識して取り組むべきテーマなのです。

そこで、中小企業において人的資本の最も中核となるものは何かというと、まずは経営者やオーナーです。経営者やオーナーが自分の知識・経験・スキルなどをメンテナンスしていることが最低限の条件(修繕費的なもの)です。できうれば、一定の時間や資金や(社外を含めた)人材などを投じて、次につながる投資(設備投資の相当するもの)も行うのが理想です。

まず、経営者やオーナーが人的資本として自分自身のメンテナンスを行っているかどうかを自問自答してみましょう。

人手不足で新たな従業員を雇いたくても雇えないとぼやいていませんか。そう愚痴をこぼしながら、募集する給与は最低賃金レベルということはないでしょうか。若しくは、人手不足だから誰でもいいから雇う、という発想に縛られていませんか。

人を雇うのであれば、中小企業は大企業よりは労働条件が悪い点が目立つでしょうから、せめて給料くらいは高く見せないと話にならないのです。給料以外の労働条件で大企業に勝てる要素がないのが多くの中小企業の実情であるとすれば、払うべきものを従業員に適切に支払うようにしなければなりません。

 中小企業、特にベンチャーによく見られるように、社会的な課題を解決するとかミッションやビジョンを語るといったもので人を引き付けようとするのは、はっきりとした限界があることを経営者が自覚しておかなければならなりません。その限界を知った上でもなお、資金がないために一定レベル以上の処遇が実現できないというのであれば、もともとの資金調達に問題があるかビジネスプランが破綻していたのか、いずれにしても実現不可能なことをやろうとするのは無駄です。

 中小企業ほど、経営者やオーナーが人的資本についての知識やスキルをメンテナンスしておかなければ、人手不足の解消もできず、いつになってもまともな経営ができません。

一方、次につながる投資(設備投資の相当するもの)は、人材採用や他社の買収に限りません。例えば、年に1回(2年に1回でもよいが)、1か月程度、一切、出社せず、誰か別の人を代行者として立てて、経営者としての仕事を一時的に任せるといった方法もあります。その間、経営者自身は、長期の休暇を取って健康面も含めて自身のメンテナンスを行うか、一種のサバティカルリーブ(研究休暇)を取って普段の仕事ではできない分野や興味のあるテーマについて集中的に学ぶ機会を作ることになるでしょう。こうした行為自体がひとつの投資的な活動です。

一方、他の従業員、特に代行者として指名された人は、一時的とはいえ経営者の仕事を行うわけですから、事前に意思決定に一定の枠を嵌めておくことは不可欠ですが、その経験を通じての学びがないはずがありません。もしかすると失敗(意思決定のミス)もあるでしょう。そうした経験を通じて得たものをもって、再度、実務に戻れば仕事に取り組むマインドセットが変わったり、MBA取得や通信講座など社外での学習機会をもつならば、同じ講義でも内容がより実感できたりするでしょう。

このように、次につながる投資(設備投資の相当するもの)を思い切って行うことができるのも、実は中小企業のメリットかもしれません。大企業では、経営者といえども部分的な仕事を担当するだけかもしれませんし、従業員のなかから特定の個人を選んで経営者の立場に置くと、周囲の雑音がひどくてうまくいきそうにありません。もちろん、そうした雑音を抑えることができる剛腕の経営者であればよいのですが、そうした経営者人材はあまり実在しないように思われます。

 

【注6

詳しくは、ダイヤモンド・ハーバードビジネスレビュー 20171011日記事「賃金、時間、労働意欲……人的資本への投資で生産性は上がる」を参照してください。

 

作成・編集 人事戦略チーム(202437日)

 

 

中小企業における人への投資(3)~教育研修の考え方~

 

 企業経営者や人事の責任者にとっていつの時代も頭を悩ますテーマのひとつが、教育や研修はどこまでやればよいのかという問題です。社員教育に熱心な企業ほど、誰を対象に何をどこまで会社としてやるべきなのか迷うところでしょう。

アメリカ企業の例(注7)ですが、社員が自ら学習して自分の価値を高めるために様々な研修プログラムを用意するのはいいのですが、その結果、社員がどの研修プログラムを学習すればよいのかわからなくなったり、役に立たない学習コンテンツばかりが乱立してしまったりするようでは、本末転倒です。

中小企業では自社で研修プログラムを開発したり整備したりすることができるスタッフや予算の余裕はないでしょうから、研修プログラムが乱立することはない半面、そもそもまともな研修プログラムがないという問題がありそうです。

 実際、教育や研修に関してよく尋ねられる質問には次のようなものがあります。

 

・全員対象か、希望者のみか、少数を指名するか

・自主的か強制的か

OJT重視か Off-JT重視か

・集合研修か個別学習か

・講義形式がよいか独学・自習を推奨すべきか

・社外プログラムを用いるべきか自社(内製)プログラムか

・外部講師か社内講師か

・いくら(コストと時間)かければよいのか

 

 まず、対象者の範囲についてです。

 例えば、新入社員研修としてビジネスで求められるコミュニケーション(ツールの使い方など)やマナー(社内の不文律やビジネスにおける社会的なプロトコルなど)であれば、新入社員に絞って行うものであることは自明ですが、中途採用の新入社員はどう扱うべきでしょうか。一口に中途採用と言っても、新規学卒者の新入社員とほぼ同じ程度の社会人経験しかない人もいれば、同業他社で20年以上勤務した即戦力の経営幹部候補もいるでしょう。中小企業ではいずれも人数が少ないでしょうから、新入社員研修は一度にまとめて行いたいとしても、同じ内容で同じレベルで行うのが正解でしょうか。

 実は、同じように行うほうがよい場合が多いのです。というのも、いかに即戦力採用とはいっても、会社が違えば使うITツールが異なりますし、いわゆるマナーのようなものでも組織のもつカルチャーの違いから日常的な行動が異なることはよくあります。「9時に現地集合」といった場合、9時ちょうどに姿を現せばよい組織もあれば、5分前(10分前)集合が当然という会社もあります。同じ企業でも、部門や職種によって異なるかもしれません。要は、関係者全員が理解して動くべきものは、全員を対象に研修などを通じて周知徹底していくことになります。

 一方、経営者やマネージャーなど全員ではなく特定の候補者を選抜したり、職種やポジションを限定して習得してほしい知識やスキルであれば、対象者を絞り込んだり指名したりすることになります。特に社外の集合研修に派遣するような場合は、どのような趣旨や狙いでその研修に派遣するのか会社全体や職場で公表し、事後に研修内容や研修で学んだことを職場で報告するなどして、その社外研修に派遣した意味があったり、その結果として派遣した人の行動が変わり何らかの成果が出たと周囲も認めたりするようになるまで、フォローすることも重要です。

 対象者の範囲と関連しますが、対象者に自主的に学んで欲しいのか、無理やりにでも何らかの知識やスキルを習得してほしいのか、という自主的か強制的かという検討すべきポイントもあります。学習に人を駆り立てるものは、究極には恐怖か好奇心かであるとすれば、物理的強制力をもって学ばせたり、解雇や厳しい業績評価で学習へと駆り立てようとしたりするのは、恐怖による不承不承の学習です(注8)。自らの好奇心の赴くままに、知らず知らずに学習している情況こそが理想的でしょう。

しかし、組織が個人に求める学習は、必ずしも個人々々にとって最適なタイミングでは実現しません。対象者がより広範となるほど、自主的に学ぶのを待っていることは難しくなり、無理にでも学習してもらうことになります。その際、もしかすると目の前にニンジンをぶら下げることがあってもよいかもしれません。業務上の必要性により公的な資格を取得するために学習するとか、新しいシステムを導入するときにその使い方を習得するといった場合には、そのための学習に要した費用や受験料などを合格時に払い戻したうえで祝い金(一時金)を加算支給するとか、使い方を習得することを業務目標として設定し習得できない限り業務評価が悪くなるといった、教育研修と連動した処遇プログラムが必須です。

 

 次に方法論として、OJTを重視して現場の管理職や先輩社員に部下や後輩の指導・育成を一任するのか、Off-JTを重視して本人の学習機会を保証することを会社としてしっかりとルール化するのか、という課題があります。

特にOJTの場合、忘れてならないのが指導する側の研修です。現代ではパワハラやセクハラなどのハラスメントについての教育が必須なのは言うまでもありません。その上で、指導する側のコミュニケーション技術の高さが求められますから、リモートであっても直接の対面であっても、相手の状況に応じて適切な指導ができるだけのコミュニケーション・スキルを事前に習得させておくことが不可欠です。

 また、方法論とコンテンツに関わる問題として、集合研修を柱とするのか、個別学習を主軸とするのか、という点もしっかりと考えるべきテーマです。この点は、講義形式をメインとするのか、独学・自習を前提としてプログラムを組むのかといったことにも関わりがあります。講義形式であれば、ライブでの講義に限らず、映像コンテンツを展開して集合しなくても個人で学習することが可能となるほうがよいかもしれません。中小企業であっても、経営者などの社内講師が同じことを繰り返し教える可能性があるのであれば、一度、講義を映像コンテンツにしておくほうが効率的かもしれません。

そして、プログラムの内製化か社外プログラムの導入か、社内講師か外部講師かといった手法の問題も出てきます。以前は社外の専門家や専門の教育サービス会社のコンテンツに優越性が認められていたかもしれませんが、スマホで録音・録画・編集・教材作成などができる時代ですから、社員の中に個人でYouTubeにチャンネルを持っているような人がいれば(そうでなくてもかまいませんが)、自社で教育研修用のコンテンツを作ることは十分可能でしょう。既に公開されているコンテンツをパクるという方法も、実に効果的です。

最後に、いくら(コストと時間)かければよいのかというコスパやタイパに関するテーマがあります。これについては、大手企業の教育研修にかける費用や時間を見てしまうと、中小企業では教育や研修はとても実行できないと思われるかもしれません。

ちなみに、東洋経済の調査(注9)によると、三井物産が1人当たり平均500,000円と最も高く費用をかけており、以下、上位10社は三菱商事、バルカー、DMG森精機、伊藤忠商事、ANAホールディングス、野村総合研究所、住友商事、住友化学、サントリーホールディングスと続きます。ここまでが1人当たり平均300,000円を超えている企業です。200,000円ちょうどが26位のソフトバンク、100位(99位で三井住友トラストホールディングスとニチバン)でも115,000円となっています。

教育や研修に費やした時間となると、1年間で100時間を超えているのが、日本航空(259.4時間)、住友化学(138時間)、高砂熱学工業(121.6時間)、コメリ(117.7時間)、TIS116.3時間)、ANAホールディングス(105.6時間)の6社となっており、それ以外はそこまで多くの時間を割いているわけではありません。上位100社とはいえ、すべてが年平均で何十時間も費やしているわけではなさそうです。

中小企業について実証的なデータは見当たらないようですが、経験則としては、月例給与の半月分に相当する金額を教育研修費に充てるとか、就業時間の10%程度は教育や研修に要する時間として充てるというのが、教育研修に力を入れている企業かどうかの目安の一つでしょう。

 

【注7

詳しくは、ダイヤモンド・ハーバードビジネスレビュー 2024222日記事「社員教育プログラムは少ないほどよい」を参照してください。

 

【注8

詳しくは、ダイヤモンド・ハーバードビジネスレビュー 20211122日記事「従業員が学習を続けるモチベーションを高める方法」を参照してください。

 

【注9

教育研修の費用や時間は、東洋経済オンライン 202438日公開「社員の教育研修にお金をかける企業」TOP100 によります。なお、費用の計上基準や時間の算出根拠などは統一的なルールに基づくものではなく、会社の裁量によるものです。詳しくは以下の当該サイトを参照してください。

「社員の教育研修にお金をかける企業」トップ100 上位には大手商社が並び、トップは年間50万円 | CSR企業総覧 | 東洋経済オンライン (toyokeizai.net)

 

作成・編集 人事戦略チーム(2024313日)

 

 

中小企業における人への投資(4)~教育研修よりも重視すべきもの~

 

 人材育成に熱心な会社というと、教育研修に要する費用や時間が大きくかかっているというイメージがありますが、それで本当に人材を育成できるのかというと、必ずしもそうではありません。というのも、教育研修は実践との連動こそが重要だからです。現実の仕事を通じて本人の能力をストレッチしたり、うまくいったことやいかなかったことから学んだりすることが、周囲も本人も今まで気が付いていなかった資質を開花させたり新たな能力を身につけて発揮したりすることにつながるのです。

一般に何らかのスキルを身につけるには、70:20:10の法則(注10)があると言われています。10%は正式な教育や指導で身につくもので、講習やセミナーへの参加などを通じて行われます。20%は社会的な学習や体験で習得されるもので、いわゆるOJTやメンタリングやコーチングなどが含まれます。

そして、大半を占める70%はワークフローの中での学習や経験で、実際の仕事を通じて得られるものです。特に、挑戦的な目標に自ら進んで取り組む場合(初めてプロジェクトマネージャーとなるプロジェクトがいきなり会社全体の部門を横断するテーマであるなど)は、たとえ目標を達成するには至らなかったとしても、得るものが大きいはずです。たとえば、経験のない分野(職種や技術など)や未知の業種・業界などとの協業のなかで得る知識やスキルは、体系的ではないとしても実践的で、次につながる可能性が高いでしょう。

ここ10年でエグゼキューション・アズ・ラーニング(注11)という捉え方が注目されています。これはハーバード大学のエイミー・・エドモンソンにより提唱されており、特に知識労働者が予測困難な問題を解決するのにヒントを得たり試行したりするのに有効なアプローチと思われます。

エグゼキューション・アズ・ラーニングは次の4フェーズで進めます。

 

  入念な準備(ベストプラクティスの収集、文献調査、競合他社調査など)の上、手順や基準を定める

  部門や上下関係を超えて、関係者がその場で直接やりとりをして問題を共有したり解決のアイデアを出し合ったりするなど、リアルタイムの協業を実行する

  結果だけでなく結果に至る過程のデータを収集する

  うまくいくこと・いかないことを理解し共有する

 

この4フェーズからも明らかなように、仕事をすることと組織的に学習を進めることが同義的に行われることが要請されます。VUCAが前提となる事業環境では、組織的な学習がビルトインされていないワークフローではそもそも仕事が処理できないと言えるのです。これらのフェーズは問題解決に当たって組織的な学習が不可欠であることを示すとともに、個人にとっても学習抜きに仕事を進めることが不可避であることを示唆しています。

以前注目されていた経営幹部(候補)向けの研修では、学習(ラーニング)と行動(アクション、仕事)の連動性が重視されていました。学習した手法やアプローチを活用して、ビジネス上の課題を解決しようとするものです。

現代では、より状況の変化が速いために、学習は学習、(連動するとはいっても)仕事は仕事、といった区分を前提とするアプローチ自体が機能しにくいのかもしれません。ラーニングで習得したスキルや知識を活用できる課題を特定できる保証もありません。

従って、エグゼキューション・アズ・ラーニングという組織学習のモデルを活用することで、効果的な教育研修を実現することが望まれます。

 

さて、スキルを身につける方法についての70:20:10の比率が逆になるとどうでしょうか。即ち、70%が正式な教育や指導で身につくもので、20%は社会的な学習や体験で習得されるもので、10%はワークフローの中での学習や経験で得られるものであるとした場合です。

この場合、社員は単なる勉強好きになってしまうことが危惧されます。なぜなら、こうした比率であるならば、実地の仕事に活かせるかどうかよりも知識やスキルを習得することに長けた社員を、より高く評価し処遇する会社となってしまうからです。もしくは、仕事で実績を挙げてもあまり評価されない組織になってしまうかもしれません。

いずれにせよ、勉強だけが得意な社員を作ってもビジネスとしては無意味です。教育・研修の目的はそこで得た知見やスキルや実践的なヒントを活用して、ビジネスで結果を出すことです。究極的に言えば、教育や研修から何も得るものがなかったとしても、集合研修で知り合った人とのつながりから顧客を紹介してもらうということでも構いません。要はビジネスにおける結果にどのようにつなげるかが、教育研修の成果として問われるはずです。

人への投資をこのように捉えないとすれば、単なる勉強好きや資格マニアを利するだけで、肝心の目的(人への投資を通じて組織の基盤的な競争力を高めること)が達成できません。ビジネスへの貢献という点では、教育プログラムを提供する教育研修サービスの事業者が儲かるだけです。

 とりわけ、経営者や起業家は医師免許や司法試験とは違い、MBAを取得しているかどうかが問われるわけではないのです。仕事に必要なレベルの知識やスキルを身につけているかどうかも不問です。もし、そういう必須の知識やスキルに欠けているのであれば、事後的ではありますが実践のプロセスで身につけていけばよいのです。最初に問われるべきは、ビジネスを立ち上げたりその結果に対する責任を負ったりする意思や覚悟や好みといったものです。

教育や研修を知識やスキルを教えるという意味で捉えている限り、人材投資を教育や研修のプログラムに費やすという誤りを繰り返します。知識やスキルを教えても教える傍らから陳腐化すことが不可避な時代だからこそ、教えることからいかに脱却するかにフォーカスすべきです。

言い換えれば、自己学習の癖をいかにつけるか、自分にあった学習方法を身につけているか、自分にあったマネジメントスタイルやリーダーシップとはどのようなものなのか、こうした点をしっかりと自覚している必要があります。教えて理解するというよりも、自ら情報収集し、比較検証し、問題点を修正し、他者に投げかけてみて再度検証する、といった自己学習のサイクルを回し続けることが求められているのです。

一言で言えば、勉強だけが得意な人を作ってはダメなのです。

 このように考えると、中小企業にとって効果的な教育研修というのは、個別の教育研修プログラムのことではなくて、エグゼキューション・アズ・ラーニングのコンセプトで示されるように、仕事の中での実践から学ぶ習慣や仕事のプリセスに学習機能が内包されている業務システムを、いかに作り出していくかを問うものであることがわかります。反対に、最も効果がないのは、個人に向けて勉強や資格取得を強いるだけのプログラムであったり、OJTや経営者の直接指導という名の下で行われる実質的なパワーハラスメントや無価値な説教や根性論であったりするでしょう。

 大企業であれば、様々な教育研修プログラムを用意して、個人々々がそれぞれ希望するプログラムを受講したり適用申請を行ったりすればよいのかもしれません。たとえ、勉強しかできない社員がいたとしても、一部の社員のことであれば全体でカバーすることもできるでしょう。

しかし、中小企業では、ひとりでも実際の仕事に貢献せずに勉強ばかりしている社員がいるとすれば、その穴を埋めるだけの余力はありません。少数精鋭かつ全員が稼働していなければビジネスが成り立っていかないのが、中小企業です。故に、中小企業こそ、70:20:10の法則を強く意識して、ワークフローの中で学習することを仕組みや習慣として定着させることが肝要なのです。

 

【注10

詳しくは、ダイヤモンド・ハーバードビジネスレビュー 20231220日記事「本当に使えるスキルを身につけるための学習法」を参照してください。

 

【注11

概要は以下のサイトを参照してください。

Execution as Learning Model - Explained - The Business Professor, LLC

提唱者については、以下をご覧ください。

Amy C. Edmondson - Faculty & Research - Harvard Business School (hbs.edu)

 

作成・編集 人事戦略チーム(2024320日)

 

 

中小企業における人への投資(5)~仕事そのものが投資~

 

70:20:10の法則を強く意識して、ワークフローの中で学習することを仕組みや習慣として定着させるということは、取りも直さず、職場において学習する環境を作ることに他なりません。一般的に言えば、学習する習慣や環境があるほうが、他の条件がさほど変わらないのであれば、従業員の定着率も向上し(注12)仕事の成果を得ることが期待できます。そして、学習する習慣や学習を促す環境が人材育成を実現すること(注13)につながります。

 ワークフローの中で学習することを仕組みや習慣として定着させるということをもう少し具体的にいえば、日常の仕事の中で何かチャレンジしてみるとか、現在担当している仕事とは別の仕事やプロジェクトにチャレンジする機会を作り出してみることです。

 よく行われているのは、インターナル・タレント・マーケットプレイス(ITM=社内人材市場)を活性化して、社員に挑戦の機会を与えようとするものです。多くの企業では、異動や昇進こそ仕事へのチャレンジの機会としたり、社内公募制を制度化してITMの潜在的な価値を現実のものへと転換しようとしたりしています。

そうした試みは、狙いはよいのでしょうが、結果はあまり出ていないように思われます。というのも、ITMをうまく機能させる条件が満たされていない組織があまりにも多いからです。現有人材のデータと募集するポジション(のジョブ・ディスクリプション)とのマッチングがデータの不備などにより困難であること、仮にその個人のキャリアの希望がその時点その時点で把握できているとしても、本人も気づいていない可能性は活かすことができないこと、キャリア・カウンセリングやキャリア・アドバイザーの機能を果たすべき役割がはっきりしないこと(上長か人事部門か社外専門家か)、などが問題点となっています。

こうした現実の下では、人事部門や社外専門家が唐突にキャリアに関する面談を行うと、下手をすると退職勧奨と受け止められかねないケースも出てくるでしょう。と言って直属の上長に面談責任をすべて押し付けると、通常の目標設定面接や評価面談などと混同されてしまい、うまくいかないことが十分に予想できます。

現実のキャリア・カウンセリングは、もしかするとブルシット・ジョブの典型と言わざるを得ないのかもしれません。本来、キャリアは自分で好きなように選んでいけばよいわけですし、好きなものがなければ自ら作ればよいのです。他人や組織がとやかく言うのは筋違いというものです。

 

社内公募や人事異動を通じてITMを活性化するというのは、そもそもタレント(人材)が存在するという前提条件が満たされていなければなりません。いないものは発掘のしようがありません。それに対して、個々の人材の能力や資質のなかで未だ開花していないものを活性化して伸長させるというアプローチもあります。まさに仕事を通じて人に投資するのです。

例えば、社外のチームを丸抱えして自社に取り込んで新規のプロジェクトを任せてみるとか、社内のスタッフでも自ら手を挙げた者に失敗を前提として新規事業や技術開発をやらせてみるといったものです。ストレッチした目標(仕事)をやらせてみたり、失敗を許容するどころか積極的に失敗させたりすることが重要なのです。

そこから、挑戦するカルチャーが生まれます。ユニクロ(ファーストリテイリング)から野菜事業のスキップの失敗を経てGUが生まれた(注14)ように、やらせてみて、失敗したらそこから学んだことを活かして再度挑戦させる度量が、経営者やオーナーには求められます。

とはいえ、本来、東証プライム上場クラスの企業であれば、1人に付き億円単位の投資を行う余力はあるはずです。失敗を前提とした挑戦を財務的に許容できないはずはありません。このようなアプローチは、残念ながら中小企業では実行するわけにはいかないでしょう。

ただ、改めて考えてみると、ワークフローの中にこそチャレンジのテーマがあり、失敗経験や学習機会があるはずで、必ずしも部門や職種を跨いだ人事異動や未経験の新規プロジェクトなどが必要不可欠であるわけではありません。人によっては、またタイミングによっては、変化や挑戦を忌避するタイプの人もいれば、同じことを同じように行うことに喜びや満足を得るタイプの人もいることを忘れずにおきたいものです。どのような制度にしても、人に関することは杓子定規に同じことを強制するのは、必ずいずれかに無理があります。

現に担当している仕事であっても、その仕事を一定期間やり続けたからこそ理解できることもあります。それから、そのやりかたを大幅に変えて効率を飛躍的に高めたり、仕事の意味付けを見直して仕事の成果の定義を一変させたりすることで、ワークフローの中でのチャレンジが実現することもあります。

ちなみに、ジョブ型雇用というと、仕事=ジョブとはジョブディスクリプションで明示的に規定されたもので、仕事そのものを変えていくこととは相容れないと思われるかもしれませんが、決してそうではありません(注15)。まして、ジョブ型雇用とはいえない雇用契約形態であるならば、仕事の見直しは日々の作業レベルから仕事の内容の定義に至るまで、様々なレベルで行われるべきものです。

前回述べたように、人への投資とは一般的なスキルをアップさせるための学習や資格取得の勉強に要する費用を負担することではなく、仕事を通じて知見やスキルを習得したり開発したりすることです。人への投資が結果に結び付くには、一つ一つの知見やスキルは個人々々が習得し開発するものであったとしても、そもそも組織が個人に学ぶことや失敗することを奨励したり、仕事を日々見直す習慣をつけておいたりすることがなければ、組織として結実することはあり得ません。

中小企業こそ、経営者個人がスタンスを変えれば、すぐに学習する組織にカルチャーやシステムを変えることができるのです。外部から採用した人材であっても、固定的に仕事を割り当てるのではなく、その人の個性や持ち味を加味して、仕事のやり方を変える自由を与えてみたり、別の人と担当を入れ替えてみたりすることは可能です。まして、もともといる社員であれば、非正規雇用で現場の作業レベルの仕事しか任せてこなかったとしても、経営者が日常的に仕事の意味やより良いやりかたを問い続ければ、自然とその社員の能力や資質が変わっていく可能性が高いでしょう。つまり、投資とは言っても、人への投資は資金よりも時間やコミュニケーションを投資することが有効なのです。

 

【注12

ダイヤモンド・ハーバードビジネスレビュー 2022511日「従業員の能力開発を通じて定着率を高める3つの方法」では、①早期(入社直後)から頻繁に学習する、②学習をリチュアルとする(儀式化・習慣化する)、③経営幹部以外にも幅広く従業員へコーチングを提供する、という3種の方法を提唱しています。

 

【注13

ダイヤモンド・ハーバードビジネスレビュー 2022216日「リーダーシップ開発の対象をハイパフォーマーに限定すべきではない」では、①成功は個人の努力の結果である、②過去のパフォーマンスが将来のパフォーマンスを予測する、③やる気のある従業員が能力開発の恩恵を最も受ける、という3種の思い込みを脱却することの重要性を説いています。これに倣って言えば、①成功は組織的な努力の結果である、②過去のパフォーマンスに囚われていては将来のパフォーマンスが逃げてしまう、③従業員のやる気よりも学習する習慣(学習というリチュアル)が重要、となるでしょう。

 

【注14

この経緯については、以下のコラムに説明されています。

「ユニクロの野菜販売」はなぜ失敗したのか? 『世界「失敗」製品図鑑』が解き明かす「顧客起点」の不在|好書好日 (asahi.com)

 

【注15

ダイヤモンド・ハーバードビジネスレビュー 20231129日「グーグルも導入した、新しい職務記述書のつくり方」では、従来の採用時に提示されて固定的な職務分担を示す職務記述書のありかたを現代の変化の激しい状況に応じたものにしていくために、①成果重視、②スキル重視、③チームベース、という3つのアプローチを提示し推奨しています。

 

作成・編集 人事戦略チーム(2024327日)

 

 

中小企業における人への投資(6)~採用こそ投資~

 

教育研修、仕事やワークフローと人への投資について考えてきましたが、ひとつ忘れてはならないことがあります。それは、採用こそ最大の人への投資であるということです。

ここで言う投資というのは、一人を採用するのに要する費用がかかるとか、従業員一人を雇うと1年でも百万円単位、人によっては1千万円単位のキャッシュが出ていくといった財務面の問題だけではありません。個々の人事・人選という、投資の対象の選択が肝なのです。

 

中小企業こそ、「バスに誰を乗せるか」(注13)を熟慮し慎重に決定しなければならないはずです。一人でもバスに乗せてはいけない人がいれば、たちまち、仕事が立ち行かなくなります。特に人手が足りないときは、たまたまあった応募に飛びつく経営者も多いでしょうから、不適切な人を採用してしまうリスクが高まります。

しかし、採用で目先の人手に捉われていたり人材面で妥協したりしてはダメなのです。大企業と中小企業の本質的な違いというと、やはり規模の差に尽きます。一人の従業員が組織に及ぼす影響は、中小企業の方が大きいのは自明のことです。故に、中小企業の方が採用により慎重になるべきなのです。

 そのようなことはわかっているが、人手不足には勝てないというのも中小企業あるあるです。但し、こういう言い訳は、本当にわかっているわけではないからこそ口にできる抗弁です。

ちなみに、人手不足だから誰でも良いから採用するとすれば、その人の能力やマインドセットは不問に付すのでしょうか。もしそうなら、採用した人に能力面で問題があるとすれば、組織の側に教育研修の仕組みや習慣がないから人手不足に陥っていたのか、あるいは役員や先輩による指導などの能力がないせいか、いずれにしても能力不足が解消される道は閉ざされているかもしれません。本人のマインドセットの面で問題があるすれば、マインドセットが変わるような影響力の強い企業文化や組織風土であるかどうかが問われるはずです。

これでは、本人の意思で辞めるか組織の方が退職させるかはともかく、結局は退職する・させることになり、また採用しなければならなりません。そこで、またも採用を焦って、誰でも良いから採用する愚を犯すことになります。このループを断ち切ることができない中小企業がいかに多いことでしょうか。

このループを断ち切るには、自社のワークフローやカルチャーやシステムを変えていくことが要請されます。それには時間も労力もかかります。そこで、まずは、学習する習慣のある人を採用することで、組織的な問題はひとまず棚上げして、後に変革していくのが効果的です。

 

そこで、経営者自らが採用に責任を持つことから始めなければなりません。人材を採用するには、職種や業種、テクノロジーやサービスのテーマや分野に応じたコミュニティに経営者が自らアクセスして、自社にはこういう仕事がある、〇〇というビジョンを目指していっしょに挑戦してみないか、といったメッセージを発信し続けていれば、一定期間で何らかの反応があるはずです。

そこで、応募してきた人を経営者が即決するのは考えものです。特に中小企業では社長(オーナー)が昔から採用を決めている場合が大半かもしれませんが、実はそこに致命的な問題があるのです。

中小企業、特にオーナー企業の特徴をもつ中小企業では、採用も社長(オーナー)の一存で決定しがちです。決める社長(オーナー)に採用に必要なスキルがあればいいのですが、圧倒的に多くの場合、経営者は大企業の人事部門や独立した人事専門家のような採用のプロではありませんから、採用に不可欠な最低限の知識(労働法や雇用契約についてなど)やスキル(特に面接において人を見るスキル)を持ち合わせていません。

そういう経営者が採用面接などを行うと、ひどいケースでは採用面接の場で法的に間違ったことを口にしてしまったりすることすらあります。よくあるのは、採用候補者の話を聞く前に社長(オーナー)が自社のビジョンやらパーパスやらを一方的に話したりして、肝心の応募してきた人を採用すべきかどうかを判断するのに必要な情報(口頭でのやりとり、非言語的なメッセージ、その人の持つ印象など)を収集できていないことです。

また、こうした経営者には応募書類を読むスキルや書いてある内容の裏を取る視点が欠けているために、キャリアビジョンや前職で挙げた実績などに明らかに問題がありそうなケースでも、面接の前から採用決定の心証を形成していたり、面接で応募者がうまく話を盛り上げて経営者のほうが丸め込まれてしまったりするでしょう。

稀に、大企業の在籍者や出身者が応募してくると、経営者が舞い上がってしまい、即採用と決めつけてしまうことすら起こります。ちょっと考えてみればわかりますが、今まで大企業在籍・出身者の応募がほとんどなかったのは、自社の知名度や処遇の魅力などが欠けていたからで、それが急に良くなった何らかの理由があればよいのですが、そうでないとしたら、応募してくる方に何か事情があると考えるのが自然な考え方であり道理に適った見方です。

全てとは言いませんが、こうした応募者によく見られるのは、下手に関わり合いになると拙いと感じるべきタイプなのです。従って、応募時に提出すべき書類は応募者本人の主張する事情に関わらず全て提出してもらう、学歴・職歴や資格取得歴などは当該組織や資格認定団体などに確認する、リファレンス・チェックと自社指定の医療機関における健康診断は必ず行う、などの採用のデュープロセスを定石どおりに進めることが最善の方法です。特に職務経歴書の内容や学歴については、記述されている内容に矛盾や疑問など何かひっかかるところがないか慎重に(できれば複数の目で)検討することが望まれます。

もし、中小企業の経営者で採用に関する知識や経験やスキルが不足していると自覚があるなら、採用に関する投資の最初の一手は自分に投資することです。つまり、採用に関する豊富な知見・経験・スキルをもつ人に手取り足取り教えてもらうとか、採用に長けている人を採用するとか、少なくとも採用のプロに採用業務を部分的に代行してもらい、間違った採用を極力避けることができるように、応募してきた人のスクリーニングを行ってもらうのです。

もちろん、採用代行業者を全面的に活用するのもひとつの手段ですが、代行業者だからといっても全てできるわけではありません。少なくとも、採用したい人材について経営者の持っているイメージを実務に落とし込むことができたり、経営者自身が持っているかもしれない採用に関する間違った認識を修正したりしてくれることが求められますが、なかなかそういう業者はいないでしょう。なぜなら、そのような面倒な作業を行っても得られる収入は限られますし、経営者に苦言を呈したら契約を打ち切られるのがオチですから。

 

中小企業こそ、「バスに誰を乗せるか」(注16)を熟慮し慎重に決定しなければならず、一人でもバスに乗せてはいけない人がいれば、たちまち、仕事が立ち行かなくなると最初に述べましたが、それでは、どのような人を「バスに乗せる」人として選ぶべきでしょうか。

能力の高い人、(能力よりも)意欲にあふれる人、威勢のいい言葉だけの意欲よりも不都合なことや困難な情況にきちんと向き合う誠実さをもっている人、それとも、自社にない経験や知識を持っている人、自社のカルチャーや職場環境にあっている人、経営者の右腕となりうる雰囲気を持っている人……いずれにしても、一般的な意味での正解はありません。

ただ、中小企業には通常、教育研修プログラムが充実していたり人材も豊富で新たに採用した人に教えたりフォローしたりする指導者やメンターがいたりすることは滅多にないでしょう。そこまでの人的余裕はないのです。

そこで、どのようなタイプの人材を採用するにしても、少なくとも一つは必須の特性があるように思われます。それは、学習する習慣です。これが身についている人やグロースマインドセット(成長志向)をもっている人でないと、採用しても経営者が期待するように活躍できるようになるには、なかなか至らないでしょう。言い換えると、経営者や周囲の人々が一つ一つ指示したり教えたりしなければならないような人は、採用しても戦力化することは困難であると言わざるを得ません。

学習する習慣やグロースマインドセット(成長志向)をもっている人材(注17)を採用するには、例えば次のようなことを尋ねてみる必要があります。

 

・この会社に入って仕事を通じて最初に何を学びたいか

・それはどのように学ぶことを予想しているか

・今後のキャリアビジョンから考えて何を学ぶ必要があると考えるか

・その理由は何か

・最近(今現在)取り組んでいる学習テーマは何か

・自分の学習に関するシステムやルーティーンはどのようなものか

・前職や学生生活の中から何を学んできたのか

・過去の学習を振り返って自分なりの成功パターンは何か

・部下や後輩などに何か教えてきたことはないか

・もしあれば、どのように教えたのか

・教えた経験から自分が学んだことはないか

 

 面接の答えがすべてではありませんが、こうした問いに対して真っ当に答えようとしているかどうかを含めて、今まさに採用しようとしている人が学習する習慣を身につけているかどうか、ある程度は推測がつきます。

但し、ここでひとつ注意したいのは、いかに学習する習慣やグロースマインドセットをもっているといっても、同質的な人材で組織を固めるのは投資として極めてハイリスクであるという点です。特に経営者がビジョンやパーパスや社会的課題などを声高に論じる傾向があるほど、同じ傾向や価値観をもつ人たちが社員となり、結果的に同質的な組織になってしまう虞が大です。

そして、価値観やワークスタイルが同質的であるほど、環境変化を感知する力が弱まります。環境変化を感知できなければ、適切な対応を取ることは不可能となります。その最も良い例は、パワハラやセクハラに未だに対応できていない企業があることをニュースなどで見聞きするだけで実感できます。

中小企業であれば、会社全体をひとつの果物かごと見てどのような果物をバランスよく入れるのか、いわば人材のバスケットケースをイメージしてみることが効果的かもしれません。人材の属性や資質、組織として欠けている知識やスキル、ビジネスとして伸ばしていきたいテーマや分野などに応じて、どのように人材のポートフォリオを作っていくかを検討しておいて、経営者自ら頭に入れておいて、自分の労力やエネルギーの一定割合を日常的に傾注しなければなりません。

 

【注16

詳しくは、以下のまとめを参照してください。

『ビジョナリーカンパニー2飛躍の法則』要約・感想・まとめ【起業におすすめの本】│KAIBLOG (kaiblog-fun.com)

 

【注17

詳しくは、ダイヤモンド・ハーバードビジネスレビュー 2021630日「学び続けられる人材を見極め、採用する方法」を参照してください

 

作成・編集 人事戦略チーム(202444日)

 

 

中小企業における人への投資(7)~働く環境への投資~

 

人への投資の投資対象として盲点になりがちなのは、働く環境に投資することかもしれません。働く環境には、人間関係や組織風土や企業文化などのソフト面での環境もありますし、ハード面の環境もあります。また、制度的な環境や業務システムといった環境もあります。

こうしたものは、人への投資とは言っても、財務経理上は投資というよりも日常的な経費支出の対象が大半です。特に中小企業は、いきなり本社ビルを建てたり開発や物流の拠点を一棟借りしたり寮や社宅をいくつも保有したりするわけではないでしょう。日常的な活動に要する部分で、多少の費用を掛ける程度ではないでしょうか。

 

ハード面の環境というのは、文字通り、組織のハードにおける環境であり、物理的化学的な環境ということです。オフィスの立地条件に始まり、建物の構造や建築材料、空調や水回りの機材や衛生状況、IT・通信の機材や技術レベル、音や光の状態など、整備すべき条件は多岐にわたります。リモートワークが一般化している現在、リモートワークを行う場所のハード面での環境を整備する必要性も無視できません。

海外の大手テック企業では本社や研究開発拠点をキャンパスと称して、単なるオフィスではなく創造の場とすることを企図しているものが昔からあります。リモートワークが普及したこともあり、大手企業ほどオフィスに集う意味を再検討しなければならない段階に来ています。

こうした面に積極的に投資するという経営スタンスが、人への投資をしていることにつながります。といっても、中小企業では多少のコストを追加で掛ければよい程度ですが。

 

制度的な環境と言えば、まずは定款や取締役会などの法的な制度や社内組織分掌や就業規則や経理規定など社内で定められている様々なルールがあります。ここに内規などの運用上の細則や書式類があり、更に暗黙のルールや不文律などの目に見えない決まり事も加わる上に、企業文化などのソフト面での要素が絡んで、制度が複雑になり無駄な時間・労力・コストがかかりがちです。このような無駄な時間・労力・コストをどこかのタイミングで大幅に見直し、社員が無駄な事務的作業をしなくても済むように、プロジェクトを立ち上げるのも、人への投資の一種と言えます。

福利厚生施策のうち、寮や社宅など従業員に直結するものを拡充させるというのも人への投資のひとつには違いありません。また、財形貯蓄や持株会なども制度的な投資でしょう。社会保険とは別に自社独自で付保する保険や年金なども同様です。

福利厚生と言っても中小企業ではなかなか整備するスタッフも資金もないため、専門機関の提供するカフェテリアプランなど社外のプログラムに相乗りすることも多いでしょう。とはいえ、これらも拡充させればよいというものでもありません。個々の従業員や役員のニーズに応えているかどうかが問われます。

人によっては、福利厚生プログラムよりも、休日や休暇を多くしてほしいとか、育児や介護に充てる時間を柔軟に使えるようにしてほしい(ので在宅勤務を原則としたい)という人もいれば、福利厚生プログラムも休日休暇もいらないので、とにかく金をくれという人もいるでしょう。特に、起業を志している人や留学希望者、できるだけ早期にリタイアしたい人など、その人なりのキャリアプランにもよるでしょう。中小企業こそ、従業員や役員一人ひとりの処遇上のニーズに応えていく姿勢が望まれますし、規模が小さいからこそ、柔軟に個別的な措置をとることが可能なはずです。

 

中小企業の場合、現実には、人的資本としての人への投資以前に、安全衛生面で必要な措置としての費用をかけるという意味での投資を行うべきかもしれません。例えば、次のような実態に関する記述(注18)があります。

 

東京の労働災害の死傷者数は、リーマンショックの翌年の平成21年は9,101人と最少を 記録しましたが、令和3年には12,876人となっており、令和元年から3年連続で1万人 を超える状況であり、平成27年以降7年連続で増加しています。また、東京の労働災害に よる死亡者数が令和3年は77人となり、令和2年と比べるとほぼ2倍増となりました。(「グラフで見る東京の労働安全衛生(令和4年・東京労働局 労働基準部)」3ページより)

 

こうした傾向は東京に限ったことではなく、同じページに掲載されている全国の労働災害による死傷者もほぼ同様の傾向を見せています。

これを企業規模別に見る(前掲14ページ)と、労働災害の発生頻度を表す度数率は規模が小さいほど高くなっていることがわかります。これは大きな組織ほど、労働災害を防止するスタッフや資金を投じることができ、小さい組織ほどそうした経営資源が厳しく限られているからと思われます。

但し、子会社やグループ会社が雇用した者、人材派遣会社から派遣されている者、フリーランサーや業務委託者など雇用契約以外の契約形態で働いている者などを多く活用している大企業ほど、現場で働いているのが自社雇用の社員である比率が低下することも事実ですから、大手企業の職場の方が物理的に安全と断言できるわけではないでしょう。特に、複数の企業体が重層的な契約関係にある現場(建設、工場、倉庫等の物流拠点、交通機関の拠点、大規模な流通施設・飲食施設・宿泊施設・教育機関・医療機関など)では、労働災害があっても、被害に遭うのは自社の社員ではなく、他社の社員とか業務委託先の関係者ということが珍しくはありません。

ちなみに、直近10年の死傷事故の具体的な態様としては、発生率が高いものから順に、転倒、墜落・転落、動作の反動・無理な動作、はさまれ・巻き込まれ、切れ・こすれ、交通事故(道路)、激突、飛来・落下、その他、となっています。ここで言及されているのは物理的な労働災害に限られており、パワハラやセクハラに起因する自殺や精神的心理的な症状を呈するものも含まれていません。それらも広く労働災害として捉えるならば、労働災害を未然に防止することに必要な投資を行うことが人的資本経営の第一歩というべきかもしれません。

少なくとも、現に労働災害が起こっている組織においては、人的資本について検討する前にやるべきことがあるのです。この点、企業規模による違いはありません。

 

中小企業においては、事務所の内装を変えたり空調機器や事務機器をよりよいものに交換したりするだけでも効果があるケースもあります。もちろん、物理的なことでなくてもよいのです。福利厚生や休日休暇や労働時間や勤務場所の柔軟性など制度的なことでもかまいません。社員が少ないからこそ、個々のニーズに応えても投資というほどのコストもかかりません。

その一方、労働災害などが起きると、多少は保険に入っていたとしても、損害賠償に応じる資金的な余力がある中小企業はそう多くはないでしょう。まして、会社自体が業務上過失などの刑事責任を問われたり、そもそも重大な労働災害を起こしたことによる信用失墜の影響が大きかったりして、事業が立ちいかなくなってしまうことが危惧されます。

そのようなリスクに対して、掛かる費用は過大なものではないことは誰にでもわかります。まして、土地を購入して本社や社宅を建てるという話ではありません。人への投資といっても、費用はさほど掛からないのです。要は、会社側の思い込みや押し付けによる施策ではなく、従業員や役員の個々のニーズに的確に対応したプログラムを実施すればよいのです。

ランチミーティングの11000円のランチ代を会社負担にするにしても、メニューがひとつで選択の余地がないのでは社員から不満の声も出るでしょう。1室に1000万円を掛けてリフォームした独身寮でも、入寮する新入社員から見ればプライバシーへの配慮に欠けると感じることがあれば、入寮を拒否するどころか入社を辞退することになりかねません。経営者が良かれと思って採った施策でも、社員本人のニーズとのギャップや選択の余地によっては、投資どころか経費的にも人的資本経営の面でもマイナスとなる虞があるのです。

 

【注18

詳しくは、以下のサイトを参照してください。

001320184.pdf (mhlw.go.jp)

 

作成・編集 人事戦略チーム(2024412日)

 

 

中小企業における人への投資(8)~投資に失敗したら~

 

人への投資も企業における投資の一種である以上、成功もあれば失敗もあります。成功は、人材育成がうまくいくことでイメージしやすいのかもしれません。例えば、新入社員が1年後には一人前のスタッフとして、後輩を指導しているとか、経営者候補の選抜育成システムの中から、子会社の経営者として実績を挙げた人が本社の役員としてグループ全体の経営に当たるとか、それなりに理解できそうです。

一方、失敗は必ずしも明確に共通の認識をもつことができるわけではないでしょう。採用した新入社員が1ヶ月も経たずに大半が退職したというのは、採用という投資活動の失敗に思われますが、残った者の中から次世代の経営幹部が現れたとすれば、成功かもしれません。また、いわゆるアップ・オア・アウトの慣行が出来上がっている職場では、遅かれ早かれ大半が退職するのは当然ですから、1ヶ月という期間は短いかもしれませんが、必ずしも失敗とは言いきれないところがあります。

財務上の投資であれば、投資した事業の成否で判断することになります。投資に対する収益とか、想定していた事業規模に達するかどうか(成長規模やスピード)といった基準で事業の成否を問うことができるからです。同様に人への投資も、その失敗について判断するための基準や失敗の定義が必要です。

投資はしたが結果が出なかったので失敗という前に、人に投資する際に求める結果とは何かをまず決めておかなければなりません。ここで結果というのは、投資対象たる個々の社員が犯す個別の失敗事象(事業が立ち上がらない、製品・サービスの開発が予定通り進まないなど)のことは当然なのですが、それだけに留まらず、そこから学ぶことができない人を採用したとか、失敗を反省はしても次に修正できないことなどが、人への投資における失敗と認識すべきではないでしょうか。

つまり、人への投資の成否を判断する基準は、直接の仕事の結果であるとともに、そこから何を学ぶか、仕事の結果や結果を出すまでのプロセスにおいて次の仕事に活かすことができるものに気が付くことがあったか、そして、それらを組織的に学ぶことができるように広く伝えることがあったかどうかなのです。

 

次に、人への投資の失敗の態様をいくつか挙げてみます。

まず、採用自体の間違いがあります。そもそも、経歴だけを見て仕事に不適格な人を採用したとか、人手不足から採用の基準を下げてしまい、成長マインドにかける人を入社させてしまったといったケースです。

また、人材育成(スキルを身につけさせるなど)がうまくいかなかった、要求するレベルを明示していないために期待し要求するスキルレベルに到達していないまま現場に出してしまった、マネージャーが適切な業績評価を行わないため本人も自らのスキル不足に気が付かないなど、スキルの習得や評価に関する失敗もよくあります。

教育研修において典型的なのは、「プログラムを実施して終わり」になってしまい、具体的に仕事で活かされることがないとか、内容の理解度や受講者の満足度を測定するのはいいが、その数値目標の達成度が投資の評価指標であるために、仕事の現場、特に職場で習得したことが活用できているかとか顧客から支持されているかといった観点からは評価が上がることがない場合です。

更に、配置や異動の失敗もあります。本人が職場に適合ができない、職場(上司、同僚、部下)がその人を受け入れない、本人が希望した職務であっても仕事に向かない(本人の能力や適性とのミスマッチなど)など、客観的に見れば人材の無駄使いとなっているケースも見られます。

優秀な人材を引き付けておくのに最もチャレンジングなことは、その人が興味を示すような(わくわくするよう)仕事を提示し続けることだとすれば、魅力的な仕事を次々に与えることができないことも失敗と言わざるを得ません。原理的に不可能なことではないとしても、経営資源の制約や事業分野の狭さなどから中小企業では挑戦すべき仕事やチャレンジすべき課題をタイミングよく提示することは難しいでしょう。

そして、究極の失敗は、そもそも失敗を失敗と本人も周囲も認識していない状況です。業績評価や能力評価がいい加減であったり、結果を本人に適切にフィードバックしていなかったり、処遇上の差異が本人にメッセージとして伝わっていなかったりすれば、失敗を知りようがありません。そして、第三者から見て明らかにおかしいというレベルを放置したまま、配置転換や退職を勧奨しないのであれば、組織的に失敗を放置しているということになります。

失敗を失敗と認めることができるというのが、失敗に関する議論の前提です。第三者が見て失敗と思うような事態に至っても失敗という言葉を使うことを拒むような体質では、組織的な成長は望めませんし、再び同じ失敗を繰り返すことが十分に予想されます。従って、失敗の放置は最大の経営ミスと考えるべきです。

こうした失敗観の転換は、中小企業では経営者が変われば実現可能なものです。経営者が率先して自らの失敗を明るく語ることが、その第一歩です。

 

改めて注意したいのですが、失敗したことが問題視されるべきではありません。問題なのは、失敗を本人も組織もしっかりと認識していないことです。人への投資も投資の一つである以上、失敗は必ずあります。そして、失敗することを前提に仕組みを作ることが重要なのです。この点、財務上の投資も同様で、暴落や急騰を含んで損失や利益確定を巡る失敗から学んできたなかから、長期分散投資などの原則や様々な数理モデルの発展の歴史があるのでしょう。

人への投資では、通常の業績評価や能力評価を本人へのフィードバックを含めて適切に行うことを大前提として、次のような方向づけが求められるのではないでしょうか。

 

・アップ・オア・アウトなどの人材流動性を実現するルールや慣行を根付かせる

・配置転換や退職勧奨など失敗を処理するルーティーンを確立する

・職場におけるさまざまな失敗の経験をその職場における資産に変える

・失敗から学習する企業文化や失敗を肯定する価値観を持つカルチャーに転換していく

・定年退職制(年齢による一律の強制的な退職)や役職定年制など成功も失敗も同じに扱う仕組みを廃止する

・退職者も人材として有効活用する慣行や仕組みを機能させる

 

 まず、アップ・オア・アウトや配置転換・退職勧奨など、社内の人材を流動化させることが原則です。失敗に限らず、一旦は成長が止まってしまった人に、次の成長の機会を与えるのも必要なのです。

 一方、組織としては、失敗は失敗と認めた上で、そこから学ぶことや再度挑戦することが当たり前という価値観をしっかりと醸成することが不可欠です。端的に言えば、本人は失敗を笑って他のメンバーに語り、周囲はそこから自分の仕事やキャリアへのヒントを見出すのが日常的に行われるのです。

このように考えてみると、定年退職は年齢によってどのような人も退職させられてしまうので、次に挑戦する機会を奪うだけでなく、定年年齢まではひどい失敗はしないようにしようという保身的なマインドを醸成しないはずがありません。いわば、失敗も成功もいっしょにしてしまう扱いです。残っている人が全て成功例であればよいのですが、そういう組織は現実にはないでしょう。

そこで、定年退職のように一律にキャリアを断念させるのではなく、自らの判断でキャリアチェンジを図る人材に転換を促す仕組みのひとつとして、アルムナイ(同窓会、退職者のネットワーク)を構成していくことが望まれます。組織を退職してもアルムナイとして何らかのつながりをもつことで、組織としては退職した人々が新たに活躍する世界とのつながりからビジネスチャンスをつかむ可能性がありますし、個人から見れば新たに学んだ経験やスキルを活かして再度、元の組織で活躍する機会が生まれるかもしれません。

そのためには、退職を本心から「卒業」と認識できることが要請されます。昇進できなかったことに心から引っ掛かりはないかどうか、本人が自らに問うことも必要ですし、組織からは見れば既に投資した人材ですから何らかの形でもう一度活躍できることがあれば、自社であろうが別の組織であろうが、活躍することで投資が結果に結びついたことに変わりはありません。

むしろ、一度は投資の失敗かと思った人材であっても、社外で活躍できれば、むしろ投資の成功と見做すべきではないでしょうか。少なくとも、自社で抱え込んで活躍する機会を与えないほうが、投資の失敗を塩漬けにする行為に他なりません。

こうしたアルムナイを機能させるのは外資系企業や大企業でよく見られますが、むしろ中小企業こそ行うべき施策です。もともと人数が少ないのですから、一度でも自社と関係ができた人を何度でも活用しようと企図するのが当然でしょう。時には、アルムナイから次に採用する人材との関係が生まれたり、採用しようとする人のレファレンスチェックで有用な情報が得られることも出てきたりもします。

 

作成・編集 人事戦略チーム(2024416日)

 

 

中小企業における人への投資(9)~まとめに代えて~

 

以上見てきたように、人への投資というのは、採用に始まり教育研修に経営資源を費やし、配置・異動を含めて仕事そのものが投資であると認識すべきものです。そして、職場の状況など人と仕事を取り巻く環境を整備することや、人事や組織の制度や慣行を適切に運用することも、人への投資として不可欠な要素です。

ここまでの議論を踏まえると、人への投資に関して一般に問われがちな以下のような質問については、次のように考えることができます。

まず、投資の対象は、個人なのか環境やシステムなのかと言えば、両方とも重要です。どちらを優先すべきかについて一般的な解を求めても意味がなく、自社の経営課題を解決するのにより効果的なことから取り組めばよいのです。

ときどきある質問に、人への投資は仕事とは切り離して行うべきものであって、特に留学・通信教育・集合研修などは日常の実務では学べないことこそ学ぶべきではないかというものがあります。これも一概に解があるわけではなく、個人のキャリアチェンジの契機としては、仕事とは切り離すほうがよいと思われますが、組織として変革を求めるタイミングでは実務に直結した教育研修プログラムこそ重要です。

人への投資は全員一律に平等に行うべきものとか、社員全体に公平に機会を与えるべきであるとか、社員全体のレベルアップのために行われなければならないとする見解もよく耳にします。これらは抽象論としては正しいように聞こえますが、経営上の具体的な施策としては必ずしも考慮すべき事項とはいえません。組織が行う教育研修は子女の義務教育ではありませんから、時間やコストなどの経営資源に限りがある以上、経営上の要請に応じて対象者を絞って実施することもあるのが当然です。

一方、人への投資は組織が学習する機会と費用を必ず賄うべきものだということも、時と場合によっては不適切な投資になってしまうかもしれません。というのも、個人のキャリアは組織ではなく個人の選択の問題である以上、組織としてはキャリアアップやキャリアチェンジの可能性を提示することはできても、それらを活かすかどうかは最終的には個人の選択に委ねられます。

極端な話、退職して別の仕事に就きたいと申し出ている社員を、強引に説得して会社に引き留める権利は会社にも経営者にもありません。また、会社の事業領域や経営課題から大きく外れるテーマについては、会社が学習する機会と費用を賄う必要はありません。

よくある問いのひとつに、人への投資と言ってもコストに過ぎないとか、投資のリターンがはっきりと見えないとか、投資とは言えリスクとリターンを見極めることが難しいということもあります。これらは、人への投資を個々のプログラムについて考えるのではなく、ひとつにまとめて分析しようとしている点に無理があるようです。個々のプログラムであれば、それぞれの目的や狙いがあるはずで、それらに則った成果目標もあるはずです。

例えば、若手のマネージャークラスから経営幹部(候補)を育成したいのであれば、単に座学を行うのではなく、一定の期間と費用を与えて候補者に経営課題の発見(特定)から解決までを実務及び社内外の研修プログラムの習得を併用して当たらせることで、その結果を測定することが可能となります。このようなやり方であれば、掛かる費用や時間もわかりますし、求める成果(リターン)も明確でしょう。

また、OFF-JTには限界があり現実の仕事ではあまり役に立たないので、結局のところ、最も効果的なのはOJTであるとか、人への投資の肝は採用と配属(異動)なので、教育研修にはあまり期待はできず、そのコストは無駄ではないのかといった疑念も強いものがあります。これらは、実務に偏った見方であって、教育研修や採用や環境整備などを軽視し過ぎているきらいがあります。なかには、人手不足で現場が大変な状況では教育研修にかかる時間があるのなら現場で働いてほしいという声も一部にはあるようですが、それでは本末転倒です。目先の人手不足は、むしろ仕事の制度やシステムを含めた労働環境の整備でこそ対応すべきものでしょう。

実際、現実の仕事によって鍛えられて大きく成長する人はいます。ただ、全ての社員がそういう仕事に巡り合うわけではありません。顧客や職場の違いもあれば、事業成長のタイミングやテクノロジーの発展レベルの違いもあります。仕事に追われて疲弊している人も少なくないでしょう。そこで、OFF-JTをひとつのきっかけとして自らのスキルや能力や適性を洗い直してみることも必要です。これは人への投資というよりも、人材としてのメンテナンスとして必要なことです。メンテナンスで足りないのであれば、退職や転職などを含む抜本的な投資を行うことが不可欠なのです。

ここでひとつ注意したいのは、特に社外のビジネスパーソン向けの教育サービスを活用する際に、成果を勘違いしないことです。経営者や起業家を育成するとは言え、進学重視の学習塾や資格試験予備校ではないので、経営者や起業家を輩出する人数を成果として自慢するようではMBAも塾形式の養成講座も愚かしく思われます。4月になり進学塾には今年の実績として「〇〇中学(高校、大学)に×名合格」といった表示が出ていますが、当大学(院)のMBAコース修了者から、今年は執行役員が〇名、CEOが×名就任とでもいうのはいかがなものでしょうか。求めるべき成果は、経営者や起業家になる上で必要な知識やスキルを一通り身につけることで、単に経営者や起業家になったかどうかを成果として問うわけではありません。

 

最後に、中小企業における人への投資に関する課題について、当コラムの1で見た項目を再掲してみましょう。まず、人手不足と後継者難が二大課題として指摘できます。また、人材マネジメントの取組については、働き方や人材育成に関する具体的な制度について、近年になって中小企業でも導入が広がっているものもあるが、全体としてはあまり進んでいないと言われています。特に人材育成・教育訓練については、そもそも研修を実施していない割合が高く、大企業ですら受講者割合で020%未満、受講日数で12日未満が最多となっています。現金給与総額に対する能力開発費の割合も、「0」か「0.5超~1%」が多くを占めています。

人手不足と後継者難に対する解決策というと、どうしても採用ということになりがちです。詳しくは6で述べましたが、とにかく応募してきた人を採用するというスタンスでは、まったく解決にならないことを肝に銘じて、バスに乗せるべき人を厳選することが必要です。

もうひとつは、人材を採用する手間とコストを人手不要で仕事を処理する仕組みを導入したり自ら工夫して作り出したりしていくことです。特に事務的な仕事は生成AIなどをちょっと用いるだけでも、相当程度に効率が上がりますし、アウトプットの質も向上します。中小企業においてはとりわけ、経営者が自らAIITに興味を示してやってみる姿勢をみせることが重要なのです。

経営者自身がDXAIなどをまったくわからないというのであれば、例えば、厚生労働省の人材開発支援助成金「人への投資促進コース」(注19)に自ら申請してみるといった行動を起こすべきでしょう。「高度デジタル人材訓練」「成長分野等人材訓練」「情報技術分野認定実習併用職業訓練」「定額制訓練」「自発的職業能力開発訓練」「長期教育訓練休暇等制度」などのコースがありますから、仕事をしながら、また休暇を取って学ぶことで、自らDXITに必要な具体的スキルを習得する姿勢を打ち出すことがでます。そして、実際に自社の業務の中で活用することで、労働生産性を高めるとはどういうことなのか、経営者自らがやって見せることもできるかもしれません。

中小企業においては、人への投資の第一歩は経営者自身への投資です。そして投資の結果を自ら問うべきです。単にセミナーを受講したり経営者向けの研修会に出席したりするだけでは無意味と言わざるを得ません。そこから何を学んだのか、社員に向けて学んだことを発表するのが最低限の成果です。そして、次に取り組むべき人への投資のテーマを見つけることで、学ぶ習慣やカルチャーを生み出していくことが人的資源に乏しい中小企業にこそ求められます。

 

【注19

詳しくは、以下の資料を参照してください。

001174264.pdf (mhlw.go.jp)

001238038.pdf (mhlw.go.jp)

 

作成・編集 人事戦略チーム(2024423日)

 

 

 

 

 

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